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自分を世の中に放り出す前に、まずは近所に放り出してみた。

自分はじっとしているのが苦手なのだろうと思う。
刺激を外に求めて動き回ってしまう。
そんな自分の行動特性をマイナスに捉え、時折頭を抱えている。

今回の連休中、予定なくただ家で過ごしているだけという状況から逃れたくて外出したくてウズウズしていたのだけれど
「目的もないし、やりたいこともないし、お金も使いたくないから外に出ないほうがいいよなー。」
と、自分を外に誘うように優しく吹き込んでくる風の気配を感じながら何度も頭の中で自分に言い聞かせていた。

ふと、
「なんで外に出たい自分の気持ちを抑えているんだろう?」
と気が付いた。

外に出たいって思っているのにどうして必死にそれを留めているんだろう?
どうして自分の気持ちや衝動を制止することに一生懸命エネルギーをかけているんだろう?
もちろん、自己破壊的な衝動だったり不適応なものについては一旦落ち着かせたり、行動を遅らせたりすることも必要なんだけれども。
もしかするとこういうことを日常で沢山してきたのかもしれないと思った。
自分を自由にさせていると思いながら過ごしていたけど、案外自由にさせていないんだなあ。
ちょっと動いただけでも制止の壁にぶつかってるんだろうなって気が付いた。ごめんね自分。


そこで今回、”心を自由にさせているようで実はさせていない”という重大事件に気が付いたので外出してみることにした。
せっかくだから頭を使わずに直感で動いてみよう。
直感のトレーニングをしたい。
そう思い、夫からしてみたら意味の分からない理由を告げて散歩にでることにした。

「近所に自分を放り出してくる。そこで自分がどんな動きをするのか知りたくて。」

・・・と。

自分でもどこに向かうのか分からないまま歩きはじめ、ピンときた方向に曲がる。
ここで分かったことは、普段通らない道を最初に選ぶとその後は知らない道や景色の連続なのでより直観を使いながら歩けるということ。
これ、おすすめ。

でたらめでも気になったところを歩いていたら知っている道に繋がった。
「ここに繋がるのねー」と思ったし、「今まで選択していた道を歩いてくるよりもこっちの方が近道じゃん」という発見もあった。

なんか、人生みたい

そんなことをふと思った。
ついつい知っている道や歩きなれている道を選んでしまうけれど寄り道のように思える道に沢山の発見や面白さがある。
そこで色んなものを吸収して、知らぬ間にいつもの道に合流している。
やっぱり自分はこの道を進むのかーと改めて実感する。
でたらめだと思って進んできたけれど、自分はこっちの方角に進みたいんだなぁと気が付く。

そして、直感で動き回っても失敗は1つもないことに気が付いたし、目の前に現れる出来事はただの出来事として処理できた。
もしも頭を使って考えていたら「こっちの道は多分ここに繋がるからあの建物があって~。あ、あの場所に出るとあの店があるよな~、夕飯何にしようかな家に何があったかな」とか思考の旅に出かけてしまっていただろう。
そして気が付かないうちにいつもの世界の中に浸って頭が用意した道にのってしまうんだ。

直感で動くと非常に頭の中がシンプルで、目の前に現れるものだけに興味が湧く。それに対して今自分はどう反応するかということに素直に取り組める。
自分の中にある素の力というか、まんまの自分で動いても平気じゃんというか、自分への信頼感を感じられるような経験になった。
「へえー、こういうとき自分はこの感覚を重視して選ぶんだ」とかそういうことが分かった。


自分の場合は「雰囲気が良い、悪い」や「より先が見えない道を進みたくなること」「前を歩く人が選ばなかった道を選ぶこと」「目に入ったところに入ってみること」など、そんな感じだった。
自分ってこういう感じなんだなあ。
そりゃあ世の中の安泰ルートをつまらないと感じるよなあ。
何か面白そうなことを見つけたくなるよなあ。

普段から
「自分の感覚を大切にするんですよー」
と、人に言いつつ自分でもなるべく実践できるようにしていたけれど今回脳が自分を止めていることに気が付いたし、何もないのに外に出たくなる自分を「よくないことをしている」と思っていたことにも気が付いた。
自分のままで生きるのならば思ったままに動けばいいじゃないか。
今まではあんまり動くとエネルギーの無駄遣いになるのではないかと思っていたから、なるべく注ぐべきところにエネルギーを注げるよう”何が自分にとって必要なのか”をずっと頭で選別していた。
気になることに手を出しすぎるとエネルギーの無駄遣いのようになってしまうことも実際あるのだろうけど、そう考え始めると動けなくなるなあと思った。

”エネルギーの無駄遣いはやめましょう”
”本当に力を注ぐべきところに集中しましょう”

この言葉は過去のどこかで自分の中に入ってきた。

この言葉が悪いわけでは決してない。
でも、こういった言葉を取り入れるタイミングとあえて無視するタイミングもあっていいでしょう。
だから
ひとつの教えは絶対でも万能でもないと思う。
これは皆にとても伝えたいと思った。

どんなに偉くてすごいひとから言われたとしても
自分の感覚でやってみること。
そして、やってみてどうだったかを考えたり評価してみればいい。
それが自分で責任を持つということに繋がる。
そして、自分ならではの経験知になる。


未知すぎる世の中に自分を放り出して感覚や直観を使って生きることに不安があれば、まずは自分にとってまだ安心できる近所に自分を放り出してみてはいかがでしょうか。
放り出された自分がどんな動きをするのか、興味をもって面白がって見てみればいいと思う。










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