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今の自分に見えたのは現実でした。昔見えていなかったのは現実でした。
お墓参りの最後の地は自分の生まれ故郷。
幼少期の少しの時間を過ごして、それからは転勤で各地をまわったっけ。
祖父母の家はその地にあって、長期休みの時はよく遊びに行っていた。
小学校低学年ながら、なんだかモヤっとしたものがあると用もないのにじーちゃんに電話してたっけ。
開口一番のじーちゃんのいつものセリフは今でもその声と共に思い出せる。
もう電話をかけても出てくれないけれど電話番号は今でもスラスラ言えるくらいには心の拠りどころになっていたと思う。
その祖父母のお墓は遠方にあるのでせっかくだから自分のルーツをたどる旅を兼ねてみようと思い立った。
初めての一人旅でもあるのでちょっとワクワクした。
朝を目指して駆ける夜行バスに揺られ、
つかの間の深呼吸をさせてくれるサービスエリアは昼間の活気をなくし静かにしっとりとした空間になっていて、品薄の商品棚は仮眠をとっているようにも見えた。
バスの一部になったんじゃないかってくらい動かなかった乗客たちは終着のバスターミナルに着くと個を取り戻して散り散りになる。
その様がすこし可笑しく感じられた。
子供の頃広大で地下迷宮のようだと思っていた駅の中は単純な階段と通路の組み合わせだったし、目的地までとてつもなく長いと感じていた路線はあっという間の30分。
30分を短い、近いと感じる程に自分は遠い距離を何度も往復してきたんだなあと気が付いた。
汗だくになりながらお宮参りの写真に写っていた神社へ向かい、自分の成長の報告と感謝を伝えた。
神様は自分のことを覚えているかな?と思って自己紹介してみたら、とても優しい風が体を包んで撫でてくれている感覚がして
『覚えているよ』
とでも言ってくれているように感じられた。
もうあの時のメンバーの半数はいなくなっちゃったけど、
これまでの過程で生きるのが嫌になったり楽しいことばかりではないと思ったこともあったけど、
あの写真のあの瞬間は皆が生きてこうして出会えている幸せと喜びを分かち合っていた純粋な時間だったんだと思い至った。
傷つけられたり憎く思うことだって時にはあるけど、生まれたばかりの自分はそんなの関係なくまわりの皆を笑顔にしていたんだなあ。
いつから素直に笑えなくなったんだろう。
そして、いつから周りの人に対して何かしないといけないと思い始めたんだろう。
ただ居るだけでも良かったんだな。
存在しているだけでもいいっていうことが体感できた気がする。
神社の次にもう1カ所行きたかったところにも行った。
何時間もたっぷり歩いて回ったと思っていた施設は今の自分だと1時間そこらで見て回れてしまった。
かつて見ていた展示は今もあって、それには興奮した。
そして、かつてじーちゃん達と一緒にいった簡易的な遊園地みたいなところにも行った。
子供ながらに桃源郷のように感じていた場所は確かに現実に存在していた。
いくつかのアトラクションはその面影を残しつつ全く別の遊び場になっていたけど、かつて遊んだシューティングゲームと水に浮かぶ小さい乗り物そして観覧車とさびれたチケット売り場が残っていたことは嬉しかった。
アルバムに残っている写真と同じアングルで写真を撮ったりしたけど、今撮った写真には被写体がいないのが少し寂しい。
翌日はお墓参りに行き、祖父母と少し話した。
この日は一人ではなかったので長居ができなかったのは残念だけど、そのぶん今を一緒に生きている人との時間を優先できたのかなとも思う。
「もしもし、じーちゃん」
『 ————、————————。』
「うん、ちゃんとやっとるよ。」
「もしもし、ばーちゃん」
『 ——、—————————————。』
「うん、うん。ありがとう。その時は言うからね。」
今回思い出の地やルーツをたどることで子供の頃の自分に戻るところはあるのかな?と思っていた。
でも実際には戸惑いの方が多かったかも。正直。
記憶をたどるのではなく
”なぞり、当てはめながら今に塗り替えていった”
そんな感覚。
もっと懐かしくて泣くかと思っていたけどそれはなかった。
神社では泣いたけど。
でも、戻ることはできなかったけどあの頃の景色はずっと忘れないし、大好きな人達と生きていたことも忘れないし、あの人がいた感覚も声も温度もずっと忘れない。
これを書いていて思うのは、
今にしっかり浸ること、今を大切にすること
かな。
自分が、あの人が、あの場所が確かに在ること、在ったこと。
それを感じること。
もう会えなくて寂しいではなくて
その時間があったことの感謝の涙
を流し、
あの空間に閉じ込めていた小さな自分の記憶が月日が経って自分を優しく見つめるための光になる
ということかな。
今に塗り替えていったと言ったけど、それは地形や建物の構造がどうだ~とかそういうことで、記憶の上書きはできなかった。
圧倒的に昔が強かった。
自分の中の桃源郷に名前がついて形に嵌めてしまった感もあった。訳が分からないけど輝いているあの場所ではなくなってしまった。
けど、その桃源郷が現実にあって確かに自分とあの人はそこにいたのだという形にはなった。
今でも思い出せばいつだって大切な人とあの頃の自分が幸せに過ごしている。
今の自分に見えたのは現実でした。
昔見えていなかったのは現実でした。
なんだって楽しめて、なんだって怒って、なんだって泣けた。
あの頃の自分は最強なんじゃないかな。
今は目に入るものが多すぎる。
昔は自分の世界を創るのが上手すぎた。
自分はこんな風に感じたけれど、皆が旅をしたらどんなことを感じるのかな?
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