45歳行き遅れが「行方不明展」を観てきたよ(感想)
【会場に入るまで】
令和6年8月20日火曜日午前、日本橋の会場に到着。インフルエンサーを生業としたイケてる若者たち(個人の予想です)がどんどん小さなビルに吸い込まれていったので、すぐに会場が分かった。前売り券を購入できなかったものの、平日の昼間であれば当日券があるだろうと楽観的に考えていたが、それは半分正解で半分外れていた。確かに当日券はあった。しかし入り口までは長い列ができていたのだ。「こんな時間にこんなところに来られるなんて、みんな何の仕事をしているのだろう。あっ、インフルエンサーか。」と妙に納得しながら列に並ぶ。
とにかくお客さんの年齢層が低く、「若者の流行に憧れて紛れ込んだ初老」感が否めない。しかしよく目を凝らすとちょいちょいそれなりの年齢の人もいるため、場違いな自分を持て余す彼らの姿をチラチラ見ながら勇気をもらう。
【会場の雰囲気】
先述の通りとにかく若者が多く、美術館などとは全く違う雰囲気。お客はアートを観に来ているのではなく、イベントを観に来ているのだと思う。実際この展示がアートなのかイベントなのか、はたまたそれ以外のものなのかは分からない。ただ、客の多くが「観に」来ていたけれど、たぶんあれは「感じる」のが正解なのだと思う。
【内容について】
「これがアートなのかイベントなのか問題」だが、私としては「没入型のアート」であると感じた。この世界観が好きな人は好き、苦手な人は苦手だと思うけれど、おそらく両者とも「何これ、怖っ」と感じて、その後「好き」となれば前者、「嫌だ」となれば後者になるのだと思う。人によって感じ方が違うというよりは、感じ方は似通っていて、その後のジャッジに差が出るといったところだ。
じゃあその差は何なのか、というところだが、「展示の世界観に飲み込まれることができるかどうか」、はっきり言うと「(奇妙な意味での)気持ち悪さ」が好きかどうかなのだと思う。私はそういうものが大好物なので、終始「きもちわっる」「こっわ」と呟きながら会場を回った(安心してください、心の中でです)。「日常に潜む不確かさ」を可視化されて、観ているうちに「いや待てよ、そもそも日常ってなんだ? 本当にそこにあるんだっけ? 」みたいな気持ちになる。いずれにせよ、ここでしか見ることのできない展示、ここでしか触れることのできない世界観だったので、それだけでも行った価値があったと思う。
帰り道「ちえっ、東京に住んでいるとこういう珍しいものが見られていいよな」と呟きながら会場を後にした。
(少しだけネタバレあり)
【一番好きだった展示】
会場の注意書きによると「すべての作品がSNS投稿可だが、最初と最後の解説は不可」と書かれていたと記憶しているので、その部分には直接的には触れないように、私がいちばんぐっと来た作品について感想を書いてみることにする。
展示自体全部怖くて奇妙で気持ちが悪かったのだが(ものすごい悪口みたいだがめちゃめちゃ褒めている)、私がいちばん「怖いよー」となったのは、行方不明になった息子を探す掲示物の展示である。探しているのが息子であるにも関わらす、誕生日も名前も、そして年齢も定かではない。さらに掲示物の真ん中に書かれていたであろう似顔絵は切り抜かれている。あいまいな特徴を並べた掲示物の最後はこう締めくくられていた「思い出せません」。どうです? めちゃくちゃ怖くないですか? 自分の息子のことなのに、しかも探しているのに、なんにも覚えてないんですよ? そしてきっとそう遠くないいつか、この掲示物を書いた親も、そして周りの人たちもみんな彼のことなんて忘れてしまうんですよ。
ここから少し(おそらく)展示の核の部分に触れるのだが、私は「行方不明」というのは、自分の意思で、今いる場所から消え去って、どこか遠くの(無論この世界の)どこかで生きていることが前提だと思っていた。しかし、この展示で取り上げられている「行方不明」は必ずしもそうではない。会場最後の解説を読んで「ああ、そういうことなのか」と納得した。
会期は終わっているが、今後別の場所での開催や書籍化等の可能性もあると思うので、大変消化不良ではあるけれど、感想はこの辺にしておこうと思う。