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えんとつ町のプぺルの主人公・ルビッチのお母さんはなぜ車いすに乗っているのか

前回の記事に引き続き、有名作品に出てくる車いすの人物に関する記事です。
これ、書くかどうかとても迷いました。
良くも悪くもいろいろと話題になった映画なので。

でも、割と最近見た映画だし「なんでこの人車いすに乗ってるんだろう」と気になっていたので。調べたうえで別の疑問も増えたので、せっかくなので書いてみようと思いまして。

『えんとつ町のプぺル』という作品に関して、どうしても作者の西野あきひろ氏の印象が強くてフラットにこの作品自体を楽しむことがどうしてもできない。なのでこの作品に愛する私の視点がうがった見方なのか、偏った見方なのか、フラットに見れているのかもう自分で判断することができません。
作品の周辺情報はある程度調べてから見たい派だけど周辺情報の印象が強すぎるのもよくないなと悶々としております。

まず始めに言っておきますが、私は特に西野氏が好きでも嫌いでもありません。
作品そのものの感想は今回は極力最小限にして、車いすの登場人物と、その存在が物語に何をもたらしているのか、ということに焦点を当てて考えたいと思います。
そして今回はあまり下調べをせず、割と好きなことばかり書くことになります。ご了承ください。

ルビッチのお母さん、ローラの病気は喘息



喘息というのはアレルギーの一種です。肺にアレルゲンが入ってきたときに体が異物をこれ以上取り入れまいとして入り口を狭くしてしまい、結果出入り口が狭いために呼吸が苦しくなる、これが慢性的に起こるのが喘息です。アレルゲンはダニとかホコリとか化学物質とかその人によります。
えんとつ町は空が見えないぐらいの煙を常に排出していて、空気が汚れている。だからお母さんは喘息になったという設定なようです。

ローラが車いすに乗っている意味

喘息の人って車椅子のるっけ?と言う疑問は後述します。原作ではローラは車椅子に乗っていないです。
では映画版ではローラはなぜ車椅子に乗っているのか。キャラ設定から考えると、おそらく主人公であるルビッチの行動の必然性を持たせるため。見た目の弱々しさとの対比によってルビッチやローラ自身の気持ちの強さを引き立たせるためにそのような設定になったのでは?と私は考えます。

ルビッチは高所恐怖症であるにも関わらずなぜえんとつ掃除の仕事をしているのか。それは体の弱い母に代わって生活費を稼ぐためです。

あと、物語後半でルビッチが命懸けで飛行船に乗り空に向かうシーンがあります。そこで母に背中を押されるのですが、必死で車椅子を漕いでルビッチの勇士を応援しに来る母のシーンがあります。見た目では弱々しい車椅子に乗った女性であることで、より強い意思でそこまで来たということが強調されます。
車椅子に乗っている必然性は一旦置いといて、映画化にあたりストーリーが長くなりキャラクターやストーリーに様々な背景や設定が作られていく中で、喘息で体が弱く車椅子に乗っているお母さん、という存在となったのかと考えます。


喘息の人は車いすに乗るのか

筆者は実は小児ぜんそくで、小さいころは何度か入退院を繰り返していたものです。大人になってからは予防的に薬は使っているけれど、発作はほとんどないぐらい落ち着いています。
私の知る限り、喘息を理由に車いすに乗っている人はいないです。
前述したとおり、発作が起きた時はゼイゼイ行って苦しいけど普段は普通に動けるし走ったり運動したりもできます。どちらかと言えば心肺機能を弱めな方がいいので日常生活は普通にしてた方が良い感じです。

あと、異常な世界ではあるものの科学技術などが未発達な世界ではなさそうなので喘息の薬や治療法が開発されていないのも不自然かなぁ、とちょっと思いました。
ローラが、満足に歩けないほどのひどい喘息なのに日常生活は普通に送っているというところに若干の違和感があった、というのが正直なところです。


作中に、車いすの人が登場するとやはり必要以上に目立つのでその背景が気になったり理由を調べたくなりますよね(ならないですか?)

古いところからハイジのクララお嬢様、新しいところからルビッチのお母さん、と立て続けに書いてみました。

書きたい作品はまだまだあるので順番に書いていきたいと思います。

ではまた♪

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