
12/25中山11R有馬記念GⅠ:予想はパドック後に更新します
今年もいよいよ
暮れの中山
掉尾を飾る有馬記念がやってきた……。
私が最初に見た有馬記念……
見たといっても
おじさんに連れられて
強引に見に行かせられたのであるが
それは忘れもしない
1965年12月26日だった。
おじさんは
私に熱弁を奮うのである。
シンザンというとんでもない
化け物がいると
小遣い、貯金、全部を掻き集めて
シンザンの単勝を買え
そう言われて
泣く泣く豚の貯金箱を壊して
全財産を持って
中山競馬場に向かったのである。
いや拉致られたのである。
曇天模様だったのか
紫煙で
曇っていたのは定かではないが
中山競馬場は
寒く灰色の世界であった。
普段
普通に生活をしていては
出会えないような
芥川龍之介の羅生門のような光景が
私の目の前に横たわっていたのを
覚えている。
(その後、大井競馬場で発砲事件に
居合わせたこともある
いわば昔の競馬場はそういう場所
なのである)
これが現実なのか夢なのか
分からないくらいの
不気味な熱気が
競馬場の至るところに漂っていた。
1965年12月26日
私は迷っていた。
果たしてシンザンという馬に
全財産を賭けていいものかと……
それはそうである。
競馬など買ったことはないし
レースも見たことは
ほとんどない。
そこで
せめてシンザンの顔だけは見たいと
その顔を見るために
小さい私は人混みを1人潜って
パドックの最前列へ
シンザンに会いにいった。
途中で知らない人に蹴られたり
叩かれて耳が熱くなった記憶が
あるが…そんなことは全く
気にならなかった。
ここは戦場なんだ
言われなくても肌から異様な
殺気を感じるのである。
羅生門の中から
パッと視界が広がり
そこにはゼッケン番号4番
シンザンが目の前を
悠々と歩いていた。
昔の競馬はデパートの値札のようなものが
鞍上についていたのである。
馬の名前が書いてあったので
すぐにシンザンだと分かった。
シンザンは腹袋のしっかりした
トモの推進力の強い馬に見えた。
白いメンコをしていたように思う。
顔はレース前かと思うくらい
おっとりとしていて
これで走るのかな?って思った。
ただ、騎手が乗ったとき
シンザンの目つきが変わった。
これなら大丈夫
私は
まだ馬を全然見れなかったが
何故か
他の馬とは違って見えた。
この馬は負ける筈がないと思った。
根拠のない自信である。
闇の中に舞い降りた神馬の如く見えた。
単勝って
どれくらいつくのか知らないが
おじさんの言うとおり
全財産をシンザンの単勝に賭けたのだ。
(記憶が曖昧で申し訳ないがおそらく
単勝は1.4倍だったように思う。)
その人生初の
全ツのせいであろうか……
それとも
人生で初めて
羅生門のような舞台に
降り立ったからであろうか
馬券をおじさんと買い
(無論違法であるが時効であろう)
そこから
レース後
おじさんと刺身定食で
お祝いするまでの記憶が
全く無い。
なんだかその光景も夢の中のような
ぼんやりと
ただただ
おじさんが大声で
競馬について騒いでいたような…
そんな感じであった。
後年
名馬特集のビデオを買ってみた。
あの時のシンザンを見たかったからだ。
出走馬全馬
馬場の悪い内側を捨て
外埒沿いを走る
有名な画面から消えるレースである。
画面から消えたシンザンが
画面に戻ってきた時は先頭に立っている
衝撃的なレースであったが
このレースを
私はおじさんと
どこでどうやって見たのかは
覚えていない。
また口取りやシンザンの勝利後の
雄姿を見た記憶も無い。
ただ
有馬記念で勝ったお金で
妹が欲しがっていたぬいぐるみと
私の新しい貯金箱を買ったのだけは
覚えている。
妹は私がぬいぐるみを買ってあげた
ことは覚えてなかったが…
灰色に霞む
全てが
幻のような
シンザンの有馬記念。
これが私の見た
一番最初の有馬記念である。
あれからもう半世紀以上が経った。
こうして
今年もまた有馬記念を
見られるというのは
この上ない幸せである。
そして
もしシンザンの時のような
お刺身定食が食べられるような
ぬいぐるみや貯金箱が買えるような
的中馬券が
今年も私の手の中に
Noteを買って下さった方々の手の中に
あるならば
これに勝る幸福はない。
ここから先は
¥ 500

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?