㉗心のコントロールは筋トレと同じ
不幸自慢のマウント?
私は不幸自慢などしたくない人。一方亡くなった母は不幸自慢でマウントを取りたい人だった。
あそこが痛い、ここが痛い。体が弱くて病気がち。可哀想な生い立ちで、こんなに辛いことがいっぱいあって…とエンドレスに続く。母は同情してもらうのが何より大好きで可哀想と言ってもらうのがうれしい人だった。
本人にとってはストレス解消でも聞いてるこっちは気分が落ち込み憂鬱になってしまう。
「不幸自慢」も「承認欲求」=「認められたい欲」の一つ。つまり可哀想な人と思ってもらいたい名誉欲。
不幸自慢をしたところで現状は何も変わらないし、いい波動も生まれない。
寝込んで悶々と身の不幸を頭の中で何万周堂々めぐりしてみたところで何も解決しない。
その時間そのものが無駄。
そのくらいなら家の掃除をしているほうがいい。
少なくとも部屋は絶対綺麗になるから。
四六時中「言霊(ことだま)」にして身の不幸を念じれば当然不幸の願いは叶うだろう。ある意味勇気ある行動と思う。
不幸自慢でマウントなんか取ってないで、残念思考がぽっぽっと頭に現れてきたらすかさず意識的にパッと身をかわす。なぜなら残念思考とガチで闘うと心が疲弊してしまうから。ひょいとかわしてしまえば最小限のエネルギーの消耗で済む。
まるで合気道。
心のコントロールは筋トレと同じよ。