おじいちゃんと戦場の話
先日、「戦争は女の顔をしていない」を読み直した。第二次世界大戦中、従軍したソ連の女性兵士たちの体験談をまとめた本だ。女性ならではの視点で戦争が生々しく描き出され、人間性が問い直される。
読み終わった後で、「リアルな戦争」について、ちょっと考えた。私は21世紀の日本に生まれているので、「リアルな戦争」を知らない。
実際に戦争を体験したのは、父方の祖父だ。私のおじいちゃん。おじいちゃんは私が9歳か10歳の頃に亡くなっている。祖父のことで思い出せることはあまり多くない。
まず一つ目は半分がモノで埋まっている部屋。少しの期間だけど、同じ屋根の下で暮らしていた。私の姉がおじいちゃんのごちゃごちゃの部屋を見て、「片付けてあげようか」と言ったのを覚えている。当時、姉は5歳くらいだったろうけれど……
次が総合病院の白い病室。何もかもが、壁もベットもシーツも、白かった。消毒薬の匂いがして、昏睡する祖父を見ていた。私にとって消毒薬は、老いと死の匂い。その病室で、祖父は亡くなった。
幼い頃、戦争に興味なかった。臆病だったので、絶対に出征なんかできないとは思っていたけれど。
祖父は、「あまりに根性が曲がっている」ので、家族に戦場に送られたそうだ。英雄か、血気盛んな若者のように、自ら志願したわけではない。
戦場に行っても祖父は英雄にはならなかった。家族が期待したように、ひねくれた性格も治らなかった。三つ子の魂、百までも、ということか。同居していた時は、お母さんをしょっちゅう怒らせていたっけ。
それでもおじいちゃんは生きて帰ってきた。そうして、私がいま生きている。ある時、姉が聞いた。
「おじいちゃん、どうやって戦争で生き残ったの」と。
おじいちゃんは戦場で死んだふりをした。なんだ。戦争って死んだふりもしていいの?
私はなんだかガッカリした。
「おじいちゃんはね、ケチャップを使ったの。おんなじ赤色だから血に見えるでしょ」
姉が後で解説してくれた。灰色の戦場、おじいちゃんの胸元のケチャップだけが赤い。
幼い私は英雄譚を聞けなくてガッカリしたけれど、銃を持った敵兵の中、死んだふりをすることだって命懸けだったに違いない。国のために戦って死ぬことが正義とされた時代、姑息な手段を使ってでも生きようとした祖父を誇りに思う。時代の反逆児じゃないの、と。命は、無条件に美しい。
どうして、もっと戦争の話を聞いておかなかったのだろう。祖父だって、あまり多くを語らなかった。あの、心臓に毛の生えた祖父が、戦争をひどいものと認めていた。でも、戦争の話は聞きたくない。ちぎれた腕や脚よりも、ケチャップの血のりの方がよくない?
戦争のことを知り、平和を築くのは、義務だけれど。
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