みそぎからきた、水に流す_240223_#230
▼明日は記念日なんですよね。
妻の誕生日ですが、なんとかギリギリセーフ。
最近は色々と相談を聞いてもらっており
助かりましたので、花をプレゼントしたいと思います。
(みそぎではなく、感謝の意を込めて!)
▼よく『水に流す』と云った表現が聞かれると思いますが、みなさんは水に流せてますでしょうか。
私は、流せることもありますが、流せないこともあります。
誰でもとは限らないと思うのですが、一つや二つ存在しています。
でもやはり、そういうのは、思い出すだけでしんどいんですよね。
わかってても、人間そこまで出来てなく、まだまだ修行の必要があります。(笑)
▼そこで、『水に流す』という言葉について調べてみました。
どうもそれは 禊 (みそぎ、身濯ぎ)からきているとのことでした。
昔の精神的な汚れやケガレを落とすための水浴びで、失態のあった人がその失態を流す意味でミソギを行い、また集団生活に受け入れられる
ようになるらしいのです。
今の時代の『嫌なことは、さっさと軽く流してしまおうよ』と云った使われ方とは異なり、少し重みが違うようです。
さらにこのように、続いていました。
▼なるほど、島国だからこそ必然的に生まれた ような言葉だったんですね。
今でこそ、自分の主張を押し通したいということも行えるのかもしれませんが、昔はそんなことをすれば、集団に影響が出てしまう。
なのでそのようなルールで、集団の亀裂を起こさせずに復旧させる、システムが必要だったんですね。
▼現在の使われ方で、『水に流して進めようよ』と云われたら、前向きをイメージできるので、悪い気はしないかもしれません。
しかし、片方にしこりが残ったままのケースでは、逆に余計に亀裂が入ってしまうかもしれません。(つまり自分の方が、大きく損しており、簡単にチャラにするわけにはいかないと思っている時)
なので、この言葉を使うときは、相手の反応を気にしながら、慎重に使った方が良いのではないでしょうか。
例え当事者同士より軽くなる、第三者の立場であったとしても、時と場合によれば両者から倍の反感をかうかもしれないのですから。。。
〈今日の気づき〉
・水に流すの由来は身濯ぎからきており、
失態した人を早く集団生活に戻すための
手段としてシステム化されていたようす。
今の時代では、軽く使われがちではあるが、
時により余計に反感を買う恐れがあり、
慎重に使った方がよいのではないか。
最後までお読みいただき、
ありがとうございます。
明日もみなさんにとって
大切な1日となりますように!!