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デミロマンティックがFセクを通してセクシャリティについて考えてみた。

 世のなかにはFセク=フィクトセクシュアル(fictosexuality)と呼ばれるセクシャリティを持つ人たちがいるらしい。

フィクトセクシュアル(英: fictosexuality、中: 纸性恋)は、架空のキャラクターへ性的に惹かれるセクシュアリティである[2][3][4]。

wikipediaより

 今はアニメもゲームも漫画も、2次元全盛の世界だから、気もちはわかるような気もする。
 そういえば初音ミクちゃんと結婚した人もいたっけな……

 そんな私もこれは笑えない。
 私は昔の人が好きになってしまった者なので、当たらずも遠からずなのだ。
 とはいえ私はもう40代も後半で、既婚だし子どももひとりだけどいるし、多分これ以上恋愛なんかすることもない。
 だからメンターというか推しという感覚が近くて、それでいいやと静観している。

 だからそんなに深刻ではないけれど、もし私がまだ若くて独身の女性だったならばきっと悩んだと思う。

 私が若いとき、20年近く前は、長く彼氏がいないのはヤバいことだったし、30代になる前に結婚しましょう的な世間の圧力は否めなかったもの。
 きっと、そのときに好きになっていたら、私は独身で一生を終えたかも(重いって)

 というか、この年代の私ですらかなり悩んだのだ。私、どうしちゃったんだ?ってね。
 だから、彼らの戸惑う気もちはよく分かる。
 覚悟ができたのは本当に最近だし(何だかんだ3年近く悩んでいた)でも相変わらず、リアルな世界の知人に言えますか?と問われれば、言えないの一択だ。
 ネットを介した知人でも、詳しいところまで知っているのは多分、2人か3人じゃないかな。

 この人物については何度も西洋占星術でシナストリー(相性)を分析したり御本人の出生図を分析したりしてここに載せているので、それは端折ります。

 あ、昔の人が好きなのは何か名称があるのかなぁと思ったけど、発見できませんでした。
 ご存知の方がいらしたら教えて下さいませ。

 今回は、そんな時空の狭間にうっかり嵌まり込む恋をしてしまった方、いやそれ以外の方も、それを思い悩む方々のために私の考えを書いてみようと思います。


        🖤🖤🖤


 というか、正常なセクシャリティってなんだろうか。
 3次元の同じ時間軸に現在進行系で存在する異性を、性的衝動を伴って好きになること。
 って考えると、結構ハードル高い。

 他人に好意や愛情を持つのも、あまり抵抗なく簡単にそれができる人もいれば、そうではない人もいる。
 例えば私がそうだ。
 しかもその上、なかなかの人見知りで自己開示も下手だ。文章ならこんなに書けるのにね。

 男友達とか幼馴染に恋愛対象がいればいいのだけれど、そういう範囲にそんな誰かがいない場合、一気に難しくなる。

 誰かから紹介してもらうにしても、何かのコンパやイベントで知り合った誰かにしても、会って何回かで結論を出さなければならない。まだこちらは全く気もちを許せていないのに。
 職場恋愛はいろいろと難しいし、なかなか相手の本当の姿を見極めにくい。
 それに、同性ばかりの職場ではそもそも出会いがないし。

 そのたった何回かの逢瀬で相手を好きになること、同時進行で自己開示して自分を分かってもらうこと。難しくないですか?
 少なくとも私には難しかったよ。
 尚、そういう傾向はデミロマンティックというらしい。へー。
(診断サイトでテストを受けてみたら、私はどうやらデミロマンティックのサピオセクシャルであるらしかった)

 そんなこんなで、若い10年くらいのうちに、結婚を考えられるほどに気の合う誰かを探し出すというのは、実は相当難しいことなんだと思う。誰も指摘しないけど。

 というか、そんなことにタイムリミットがあること(まー子どもが欲しいなら、ある程度は仕方ないけど)そもそも『ある年齢になるまでに結婚しなければならない』『結婚してこそ一人前』という考え方がおかしいんじゃないかって気がしなくもない。
 別にひとりでもきちんと生活できてればいいのだろうし、所帯があっても生活が回らないようでは話にならないし。

 つまり言いたいのはその『正常なセクシャリティ』にたとえ嵌まらなかったとしても、なんら恥ずかしいことではないと思うよ、ということ。
 セクシャリティなんて、ここにいる人間の数と同じだけ種類があって当たり前みたいな気もするし、パターン化もするべきではないのかも、本来なら。統一なんてもってのほか。

 だって、誰かのセクシャリティをあれこれ口を出して左右しようとすることは、その人の心を束ねて捻じ曲げようとすることに等しいからね。
 私はそんなことされたくないし、誰にもしたくないよ。


          🖤🖤🖤


 前半部分でも書いてるけど、私の趣味は独学の西洋占星術だ。
 皮肉なものだ。親や身内よりもこのメンター兼推しな人物の方がとんでもなく相性としては高スコアでね(スコアだけで判断できない部分はあるけど)未だに沼から出られないのは、きっとそれもある。
 逆にここに存在している、手の届く誰かじゃなくて良かったような気もするよ。
 だって、きっと全てがどうでもよくなってしまうから。

 よく西洋占星術で『シナストリーで相手がツインレイかどうか見分けるにはどうしたらいいか』という質問がある。
 よく聞くのはライツが合、月星座が合だとか、軸同士の重なり(出生時間が分からないと話にならない)とにかく合(あるいはパラレル、コントラパラレル)になる星が多いことに尽きる感じ。
 プロの方で『星同士がカチッと噛み合う感じのするシナストリー』と表現している方もいた。なるほど。

 うーん、合うのかなぁ……でも、これ以上に噛み合うってどういう状態?
 一辺落ちのグランド・セクスタイルがひとつ(誤差で落ちている部分はライツだ)
 出生時間の誤差を考慮しても月星座は合。
 小惑星系も驚くばかりだったなぁ。お陰でとてもよく覚えられたよ。
 VestaとLovingが相互で合、CeresとHouseが相互で合、私の金星にEros(その金星の横に冥王星が鎮座している上に、さらにその横に私のValentineがいる。もっと言えば、あちらのValentineと私の金星は誤差なしの180°だ)
 私はPOFにAlmaとErosが合なんだけど、そこともCeresは合なんだよね。
 何だかよく分からないけどJunoはコントラパラレルだし、金星もパラレルだし、DSCに近くにあちらのAlmaがいるし、その横に私の火星が合で、ちょっとマイナーなんだけどLyubimetsという小惑星がついている。
 それでそのあちらのLyubimetsは私の太陽に合なんだよねえ。太陽同士はスクエアだけどさ。
(そのLyubimetsの意味はロシア語で『私の愛しいあなた』だ)

 これ以上に、どう噛み合えと?


         🖤🖤🖤


 タロットカードを使うプロの占い師さんで、2次元の推しとの相性も占うよ!という方もいらっしゃるらしい。
 いいと思う。
 そんなもの、と思う人もいるかもしれない。
 だけど、それも含めて『宿命』として生まれてきた可能性だってあるかもしれないじゃない?

 私たちは『宿命』というものの全体像を知らない。だから当然、それが『宿命』かそうではないかなど、選別することはできない。

 さっきの私のシナストリーの話だって、たまたま……かもしれないよ。
 でも、たまたまだ!と断言もできない。
 というか、ここで大いなる勘違いw をすること、それを『宿命』とした可能性もある。

 分からないんだよ。宿命なんて。

 これは『自分のセクシャリティが正常ではないかもしれない』と思い悩む全ての人に言えることだけれど。
 それがあなたにとっての『宿命』かもしれないね、ということ。

 この、私たちがどんなに考えて思いつめてもなお、全容を掴むことができない『宿命』というものが、それが現在進行系、3次元のヘテロセクシャルしかカバーしていないんだよ、なんて。
 笑っちまうね。
 それならば、その『宿命』とやらは日本政府のこども家庭庁かなにかの回し者だ。
 少子高齢化が気になって仕方ない誰かが仕組んだ罠だ。

 誰かが誰かの『好き』を強制することはできない、絶対に。
 少子高齢化で国が滅びるならば、滅びれば宜しい。その程度の国しか造れなかったということ、それは私たちの責任ではない。
 それにこんなマイノリティたちの、ただそれだけの振る舞いのためだけで滅びてしまう国なんて。

 それなんか、とっくに終わってね?


         🖤🖤🖤


 誰かにただ寂しさを埋めてもらうだけの恋愛はひたすら虚しいだけだけど、誰かを見返りなく真っ直ぐに好きでいる恋愛は、あなたにきっと多くの変容と、それに伴った新しい世界を見せてくれる。
 傅かれるのが嬉しくないわけではない。
 優しくされたくないわけでもない。
 それらとは根本的に何かが違うのだ。

 今まで幾つもの恋愛をしてきた。
 ただこういうデミロマンティックで人見知りの私だから、そうなると誰かの気もちを受け取る、受け止める役割が必然的に多くなる。
 それも否定はしない。
 どんな恋愛からでも学ぶものはあるからね。

 ただ、それでも。
 誰かを無条件で好きでいる恋愛には敵わないのだよ。
 それがたとえ、3次元でなくとも。ヘテロセクシャルでなくとも。
 大事なのは、誰を好きになるかではなく。
 あなたが彼/彼女を好きでいることで、幸せを感じているのか。

 結局は、そこに尽きるのだと思うよ。


         🖤🖤🖤


 よく、人間は本能的に子孫を残すべく生きているのだ!など宣う人がいる(中年の男性に多いよね。私調べ、ですが)
 うーん、でもそれはとりあえず種をばら撒きたい(正確にいえばばら撒く行為をしたい)人の、その欲を正当化するための理由付けなのだと思う。

 人間と動物は違う。
 どちらが偉いとかではなく、社会構造から何から何まで完全に違う。
 それなのにそこだけ本能ってどうなんだろう。

 いつかXで『女は黙ってさっさと子を産め』という投稿を見た(女性のアカウントだ)
 感じたのは強烈な不快感。だって家畜と変わらなくない?それ。

 行儀よく、礼儀正しく。知識と教養は大切です。品性が必要だ。
 でも、最後には『番え、産め』なのだ。馬鹿馬鹿しい。
 こんなことを言ってたら、この国は本当に滅びるかもね。

 とはいえ、誤解のないように書いておきますが、私はLGBTQ全てを肯定しているわけではありませんよ。
 公衆浴場は身体的性別で分けるのは当然だと理解しているし、あの女装したおじさん……じゃない、トランス女性がレズビアンを名乗るのは、はっきり言って吐き気がするほど悍ましい。
 誰かを怖がらせ、不快にさせても自身の愛着や性的な欲求を満たすのがLGBTQではないはずです。
 そこをクリアできないのはただの変態。

 逆もまた然りです。
 誰かのもつセクシャリティを『おかしい』など言って否定しない。

 自分が持つ愛情の傾向やセクシャリティを曲げることなく、お互いが気持ちよく生きられる三方良しの世界を。

 それが来たるべき新しい時代への、私の願いです。

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