ばらばら
2024年の紅白歌合戦で星野源さんの曲目が『地獄でなぜ悪い』から『ばらばら』に変更になったのは記憶に新しい。
私はこの方の曲を今まで取り上げて聴くことはなかったのだけれど、歌詞が『本物はあなた わたしは偽物』から『本物はあなた わたしも本物』と改変して歌われた件も含めて、少し気になったので、この曲を聴いてみることにした。
のんびりとしてリラックスした曲調。
決して「ばらばら」であることを責めている曲調ではないし(少し自虐は感じるけれど)むしろ「ばらばら」が重なり合っていることにこそ価値を見いだしているように思う。
だから敢えて改変部分を「私も本物」として歌ったのではないだろうか。
リアルタイムでこの方が歌唱している場面は観ていないから、どのくらいの持ち時間があったのかは分からないけれど、切り取られて解釈されたならば、新たな争いを招きかねないから。
それをこの方御自身も予測したんじゃないかと思うんだよね。
私も思うんだ。
ばらばらで何が悪い、とね。
そんなキャパシティのない、せせこましい世界なんていらない。
全ての諍いは、自分と違うものを許さないことから始まっていく。
性別、宗教、思想、容姿、肌の色、髪の色、祭祀、生活習慣、食事。
全ての違いがその種となる。
強い者たちはみな弱い者たちのそれを塗り替え、自分たちに従わせることで、彼らを手の内におさめたとする。
そういうクソみたいな悍ましい慣習。
その悍ましい慣習は世界全体に広がり、ひとつになれない私たちを争わせている。
日本では今まで抑圧されてきた女性差別が一気に吹き上がり、ネット上での争いが続いている。
どうしてもこの世界では「男性である」という生まれ持った属性、ただそれのみで「あまねく女性よりも全ての男性は有能である」としたい勢力、そういうものが日本には存在するようだ。
同じ国の、同じ民族でありながら、ただ性別の違いすら超越できない。
なぜ「女性よりも全ての男性は有能である」としたい、としたか ── その根拠は彼らが女性たちに自分への服従を望んでいる様子が、その文体から読み取れるからに他ならない。
それをもってしてもなお、その意図を否定するならば、一度、日本語を学び直したほうがいい。
『まんさん』『女さん』など、新時代の侮辱語の筆頭に挙がるものだ。
そうだな、旧時代の侮辱語を使ったならば、直ちに当該投稿は削除の憂き目に合うだろうから。
海外においてもそうだ。
何故、イスラエルはパレスチナを攻撃している?
自分たちと崇める神が違うことを赦せないからだ。
神など誰でもいい。
神の存在理由は他者を私欲のためだけに攻撃する大義名分にあるのではなく、自身の弱さを補強し、その歩みを助けるためにあるものであるはずだ。
だから、神など誰でもいいのだ。
自分自身が心から神と認められるものならば。
私たちはひとつになどなれない。
それの何が悪い?
❦❦❦
私はこの方にあまり注目してこなかったので、あまりはっきりと断じることはできないけれど、ネットでいろいろと言われている15秒の沈黙は、この件(曲目の変更までを含めた)における御本人のミュージシャンとしての葛藤が表れたものではないかと思うのだ。
ひとつになどなれない ── それはいい。
けれどこの歌が作られた2010年にと比べ、世界ははるかにたくさんの分断をかかえ、またその深さは深まるばかりだ。
世間はもはや、のんびりと気楽に「ばらばらでいい」などと歌える空気ではない。
だからこそ元々の曲目であった『地獄でなぜ悪い』は変更されてしまったのだ。
そもそもこの『地獄でなぜ悪い』をチョイスしたのは御本人ではなくNHKで、映画のために書き下ろした主題歌であるという。
そのあとに何故この『ばらばら』を選ばれたのか、その理由は私には分からない。
御本人が選んだのだとすればこの世界に対しての皮肉だし、NHKが選んだのだとすればひどい嫌がらせだ。
『地獄でなぜ悪い』を予定通り歌ったとしても、『ばらばら』を選ばされて歌ったのだとしても、どちらにしてもまた分断だ。
きっと、ミュージシャンとしての矜持もあっただろう。
そういう意味で苦渋の選択だったのかもしれないよね。
❦❦❦
今までの世界は『征服/服従』の世界だった。
けれどその在り方はもう限界をむかえて、世界は次の在り方を模索するべき時がきている。
ボーダーレスな世界、ジェンダーレスな性。
口当たりのよい言葉で囁かれるその在り方は、本当に新しい在り方だろうか?
征服者たちの、かたちを変えた新しい遣り口ではないだろうか?
尊重しない、尊重してもらえないならば、それは共存ではない。
そこに上下関係が加わったとき、どんな口当たりのよい言葉を用いて誤魔化したとすれど、それは一方的な『征服』だ。
ひとつになど、ならなくていい。
大事なのはそこではなく、尊重しあうこと。
『ばらばら』のなかでも最後に歌われている。
「重なり合ったところにたったひとつのものがあるんだ」と。
お互いに違うものを持ち寄り、統合してより良いものをつくる世界。
2025年はそんな世界に近づくことを私は望む。
新しい年が、善き一年であるように願って。