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消費される性別の抵抗とその運動について

 フジテレビが大揉めに揉めている。
 若い女性アナウンサーを大物芸能人の接待に利用したのではないか?の件ね。

 これを見ていると、この国では女性の若さや美しさは「消費すべきもの」なんだなぁと、つくづくと感じる。
 女性より規模は小さいにせよ、男性も女性向け性風俗やホストクラブが存在するので、男性の若さもまた然りだけど。

 ああ、悍ましいね。
 こういう、札束で人の頬を叩いて言うことをきかせるようなババアにはなりたくないものだ。

 恥ずかしいことに、この国全てがそういった風潮に染まりつつある……いや、染まってることに、一体どれだけの人間が気付いているんだろうか。

 前にも何度も私は「この国はポルノ汚染されている」と書いたけれど、まさにそれで、性加害に関しての判断基準が完全にバグってしまっているように思う。

 思えば、何か狂い出したなと私が感じたのは大体2010年頃からだった。

 その辺りから48人十把一絡げのアイドルグループが握手券ありきのCDを売り出したり(これはキャバクラ商法となにが違うんだ?)
 子どもの顔に豊満な大人の女性の体をくっつけた薄気味悪いアニメのキャラクターのが公共の場に出てきたり(悪趣味。これを可愛いと思うようなら、頭の程度が知れている)

 角川が運営する、いわゆる『なろう系』が始まったのもこの辺り。ゲームのスキルやパラメーターのような、数値化されたものを取り込むことで、ライトノベルは一気に陳腐になった。
 当然だ。今まで作者の言葉や感覚、センスで表現していたものが全て数値化してるのだから。無味乾燥で雰囲気もなにもない。

 頭の悪そうな主人公が努力もせずにチート能力を獲得し、意味もなく露出度の高い女性たちを侍らせて小ハーレムをつくり『やれやれ』と嘆息する世界(っていうか、この半裸に近いスタイルでは、はっきりいって戦えない)
 あの、なにが面白いの?
 同じライトノベルでも小野不由美の十二国記など読んできた者にはさっぱり良さが分からないよ。

 とにかく、この辺りから一気に日本のカルチャーは低能化したと思う。
 クール・ジャパン?なんすか、それ。クルーエル・ジャパンの間違いじゃないかなw

 これらのなかには少しずつポルノ要素がまんべんなく含まれていて、それを浴び続けることで、私たちはだんだん感覚が麻痺していったように感じる。それは洗脳に近い。
 私自身は勝手にだけど、これは一種の愚民化政策だったんじゃないかと思っているよ。


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 それより前の時代についてはテレビがその愚民化政策の旗頭を担っていたのではないかと考えている。

 今ではテレビもコンプライアンスが厳しくなったので、そんな場面は見なくなったけど ── 私物を破壊する、顔面に生クリームの乗ったケーキ?を投げつける、女優や女性タレントに抱きつく、キスを迫る、後輩タレントを殴る(主にお笑い番組)など、狼藉三昧だったのだから。

 その時代に多感な時期だった私は、大人たちの馬鹿騒ぎをブラウン管の向こうに眺めながら『なにが面白いんだろう、こんなことして』と醒めた目で見ていたんだっけ。

 そのとき現場にいた人たちが偉くなって、幹部になっているんだろうけれど、当然、そうなると面白いものなど作れやしない。
 そのときは『私は面白くないと思っていた』だけど時代の風は彼らにとっては押し風で(そう、バブル時代だった)そんな死んで濁った感性で作られた番組でもガンガン予算はおりたし、頭のネジが緩んだ大衆は笑ってくれた。

 人間、いい時代のことは忘れられないんだよ。
 だから未だに『女性を接待で上納させる』なんていうダサいことをしてしまうのだろうね。
 旧ジャニーズ事務所のあんたもだよ。ダサいんだよ。

 大衆はイージーな娯楽になど簡単に飽きてしまう。
 テレビは女性の美しさや若さを商品化し、消費して金儲けしたつもりかもしれない。
 だが、最近においてはテレビというメディアが大衆に消費され尽くしたともいえると思う。

 結果、暇と不安を持て余した大衆が向かったのがバーチャル・キャバクラ(あるいはバーチャル・ホストクラブ)のようなアイドルグループであり、ポルノ風味をふんだんに纏ったアニメであり、ご都合主義の『なろう系』小説と考えていいんじゃないだろうか。


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 どこで見たかは忘れたけれど「自己表現することをせず、ただ『消費』だけをする人間の魂は空っぽだ」と仰る方がいた。

 自己表現とは芸術型の趣味に限らず、料理だってそうだし、車の運転だっていい。ガーデニングだっていいだろう。
 どこかの誰かが垂れ流した無責任な情報(テレビなどその極みだ)に右往左往せず、自己流をある程度、貫くこと。
 その作業の工程において、自分なりの創造性を発揮すること、という意味であると思う。
 別にバズらなくていいのだ。届くべき誰かに届けばいいのだから。
 SNSにupする必要もない。だって「既に『自分自身』に届いている」といえるのだから。

 『消費』は文字通りだ。
 テレビ番組がただただ「女性たちの若さと美しさ」それから「下りてくる予算」の消費をすること ── それ以上の価値がある番組を作れなかったようにね(全てがとは申し上げませんが)
 対象のおいしいところだけを食べ尽くしたら、ぽいと捨ててしまう。
 自分では何ひとつまともに作ることができないのに、口を開けば批評と批判ばかり。

 ああ、確かに。
 なんて空虚な魂だ。泣けてくる。

 私自身はこんな文章を書いて、お前も批判ばかりじゃないかという声もありそうだけど、これも自己表現だし、もうひとつ、私は西洋占星術という趣味を持っている。
 独創性、創造性のない人間になどリーディングはできない。

 私たちはきっと、今こそ一方的に与えられるだけのメディアを捨てるべきときに来ているのではないだろうか。
 テレビは勿論だし、大手出版社各社もかなりもはやおかしい。

 ゾーニングのなってない過激な少女漫画(これも子どものポルノ汚染だ)少年漫画で突然に現れる、不必要な女性キャラのヌードシーン。極端に強調された胸とコルセットで締め上げたようなウエスト。
 幼女の顔に大人の体の、気持ち悪いキャラクター(私はこれを個人的に「女性に知性は必要ない」というメッセージだと解釈している)

 これらを提案している人たちは、私たちに一体、何をさせようとしているのか。

 消費し尽くそうとする側の性と、消費されて疲弊していく方の性。
 私たちが養っているのは怪物なのか、それとも人間なのか。

 私は女性だ。
 だから敢えて書くけれども、一部の日本人男性は怪物化しかかっている。
 全てがと申し上げているわけではないので、そこは御理解いただきたいのだけれど ── ご都合主義の思考回路(これは昨年、Xでよく見られたアンチフェミニストたちと女性たちの遣り取りを見ればよく分かると思う)に、強い性的な飢餓感。
分かってほしい、優しくしてほしい、けれど自ら対象に歩み寄ることはしない。
 自分の思い通りにならなければ、締め上げてでも(喩えとしても物理においても)言うことをきかせたい。
 「女体」を消費するのは権利だ。人権だ。

 ほう、ではあなたにとっての女性とは?

 消費したいのに消費できない。だから憎い。腹が立つ ── そう、手の届かないものだ。

 そんな彼らをここまで幼稚にし、スポイルし尽くしたのがテレビであり、大手出版社ではないだろうか。

 ね、愚民化政策でしょ?


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 ただし。私は女性側にもごく一部、責任はあると考える。

 多くの家庭でよく聞かれる話。
 そう「男の子なので可愛がって育てた」という、あれだ。
 理由はひとつではないだろう。
 古き良き家父長制を引きずった結果もあるだろうし、不出来な夫の代わりに「小さな彼氏」としてべったりの母子関係を築いた家庭もあるだろうし(正直、きもい)

 「可愛がった」という言葉の意味にも注意していただきたい。景気のいい時代だったので「何でも買い与えた」という意味もあるだろう。良い教育を受けさせるべく奮闘した(教育ママってヤツだ)例もあるだろう。

 でも、どれも著しくバランスを欠いている。
 全てに思慮が欠けていて極端だ。

 団塊の世代の男性たちが日本をダメにした、とはよく言われる(私個人の見方では、その前からとっくにダメになっているけど……^^;)
 ならば団塊の世代の女性たちが犯した罪はこれだ。
 彼女らも理不尽を嘆き、子供らに倚りかかるばかりではなく、声を上げなければならなかったのだ。
 時代が厳しかったなどは関係ない。
 今だって厳しい。税金や社会保険料は五公五民では済まなくなってきた。移民は増え、オーバーツーリズムで街は汚れている。年金制度など絶望的だし、医療制度も崩壊しかかっている。学校教育も瀕死だ。

 というか。
 「どちらが厳しい状況下にあるか」を比べることなど無意味でしかない。

 それは今、怪物化しつつある一部の日本人男性がネット上でしていることと全く同じことだからだ。
 彼らは自分たちよりも、女性たちが恵まれ優遇された立場にあり、おしなべて能力も実力も低いのに、その属性だけで得をしていると主張する。
 また、彼らは女性たちを「消費する」権利があるとも主張している。

 この前半部分の「彼ら」を「団塊の世代の女性たち」に置き換え、「女性たち」を「男性たち」に置き換える。
 そして「また、彼らは」以降の「女性たち」を「子供たち」に置き換えてみる。

 「団塊の世代の女性たち」は自分たちよりも「男性たち」が恵まれ優遇された立場にあり、おしなべて能力も実力も低いのに、その属性だけで得をしていると主張する。
 また、「団塊の世代の女性たち」は「子供たち」を「消費する」権利があるとも主張している。

 実際にそうだったのかもしれない。主観の部分も含めて。ただし、主観も含めて、心のなかだけでそう思うのは罪ではない。
 この文章のなかで、最も罪深いのは『「消費する」権利がある』としているところだ。

 権利と責任はかならず一組だ。
 責任の伴わない権利など、ただの我儘でしかない。
 団塊の世代の女性たちは、現在、怪物化しかけている一部の日本人男性たちは、この主張した権利に対して発生する責任をどう考えているのだろうか。
 まさか、滋賀医科大生たちの一件や、去年の大御所お笑い芸人の一件のように逃げ切るつもりではあるまいな?

 だとすれば、あなた方も有罪だ。
 あなた方が、この愚民化政策に従ったみんなが、この国を腐らせ、弱らせたのだ。


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 今日は1月20日。
 アメリカではトランプ大統領の就任式が行われる日だ。

 日本にもトランプ大統領みたいな人が欲しいよねえ、などよく聞こえてくる。
 ああ、そうか。だから兵庫県知事の信者になってしまうような(兵庫県民でないのにも関わらず)人間や、都知事選で2位になった石丸氏を神と崇めてしまうような者が現れるのか。

 未来を強い誰かの手に委ねるな。
 未来は誰かに変えてもらうものではない。
 あなたが変えるのだ。

 でなければ、いくら日本の政権が交代し、クリーンになったところで、きっとあなたの現状はなにも変わらない。
 そこは政権が変えてくれるところではないからだ。

 あなたの世界を変えられるのは、あなただけなのだよ。

 1月21日、空の惑星たちは直列に並ぶ。
 地震がくると言う人もいるし、宇宙船がやってくる〜と言う人もいる。火山の噴火?かもしれないし、事件事故の可能性もあるよね。

 だけどね。
 私は楽しみだよ。これからの世界が。
 この退屈な世界が滅びるところを何度も夢にみてきた。
 だからといって、トランプ大統領に期待しようなどとは思わない。

 私の世界は、私が変えた。
 もちろん、他者の介入も紆余曲折もあったけど……
 変えることを選んだのは、私だ。
 覚悟をしなければなにも変わらない。

 今まで書いてきた、この低能化した世界に。
 呑まれるか否かを決めるのは、あなた自身なのだ。

 未来を選ぼう。世界を選ぼう。

 あなたは、間違っても誰かに消費されるべき存在などではない。
 

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