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田舎の「生き辛さ」について考えてみた。

 NHKかなんかの番組で、地方出身の女性特有の「生き辛さ」についての特集があったらしい。
 それ自体は私は観ていないのだけど、そのことについて旧Twitterで、農家の娘であるという方がお母さまから『教育だけがお前を救うのだ』と言われて育った、という投稿に目が止まった。

 私も地方出身の女性だ。しかも北東北、これも旧Twitterだけど「自殺率ワースト、大学進学率ワースト」の秋田県から参りましたのでね。

 この特集は話題を呼んだようで、他にも幾つかそれについての考えが投稿されているのだけれど、私も田舎から都会にきた女性、つまりは一当事者として、思ったことを書こうと思う。

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 私の実家は自営業で民宿を経営していた。
 一応、明治後期生まれの祖母の代から始まった旅館で、大して歴史があるわけでも、格が高いわけでもない。
 商用で来られたお客さま向けの安宿だ。

 よくドラマで、高級な老舗旅館の若女将が女将にいじめられる、なんてあるでしょ?で、厳しい下積みを通して認められる……みたいなね。
 ……いやいや、こんな木賃宿でもそれ、ありましたから。こんな格式もヘチマもないような場所でも。

 その私の母は戦後の焼け跡世代で、その当時の女性には珍しく、国公立の4年制大学を卒業して小学校の教員になった人でね。
 けれど『学校』というシステムの歪みや偏りは当時から存在していて、それが嫌になって教員を辞めて、結婚することで民宿の経営にトライすることにしたのだと、本人はそう言っていた。

 民宿、旅館という商売は女性が強い、幅をきかせる商売だ。そこがホテルとの違い。
 案の定、私の父ははっきり言って不肖のマザコンというより他なく(失礼)
 結果、幅をきかせていた私の祖母にあたる人から壮絶な嫁いびりにあった。

 具体例を書いていくと、

 法事の食事会で嫁の食事、席がない(古典的)

 内孫(つまり私たちだ)と外孫(祖母の娘たちから生まれた子)で全てに差をつける。お祝いの金額とかね。

 祖母に来客があって、その来客の前で理不尽に叱る。お金や物を渡しながら、嫁を貶めるような言葉を来客に吹きこむ。

 など。 馬鹿馬鹿しいので、もう書かない。

 ただし、私の母は非常に精神的にたくましい人だったので、長きに亘って戦った結果、最後には民宿の経営は完全に手中におさめ、件の祖母は娘に引き取られて行ったものの(これも半分は戦争の遺族年金が目当てだった)最後には2011年、施設でひとり亡くなった。

 前述の旧Twitterでの投稿者のお母さまも、きっと似たような目に遭われたのだと思う。
 だからこその『教育だけが……』なのだろう。
 目の前でそれを見て育った者として、とても切実にそれを感じる。
 都会の核家族で育った人たちには絶対に理解できまい。
 「教育」という翼を背に、ここから飛んで逃げろと伝えたかったんだろう。


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 番組では地方の女性は充実したインフラや娯楽を求めて都会に……とまとめていたようだけれど、そんなまとめ方はしていただきたくない。
 それは所詮、都会のお坊ちゃまくん、お嬢さまたちの角度からみた結論でしかないから。

 東京に地方から人口が流入する理由は、他にもあるんだよ。

 そういう『田舎独特の呪い』から逃れるため。

 お互いがお互いを影で呪い合っているような、息苦しさから脱出するために。
 だから都会に出るんだ。

 田舎の人間のそういうところが嫌いだ。
 自分たちは全て正しくて、悪いのは東京であり嫁であり、つまり全て自分たちとは違う、後からやってきた何かであると、そういうところ。

 だから農家を継ぐ人たちが減る(もちろん、全ての農家がそうだとは言わない。私の母の実家だって農家だし)

 だから店や、自営業を継ぐ人たちが減る。
 みんな都会に出て、サラリーマンになる。
 私もそのひとりだよ。

 田舎の社会はとても狭い。
 学歴や商売、人間関係(いじめ、離婚とか)で一度コケてしまうと、なかなか立直るのが難しい。
 人の目、噂話。そういうものが常に付き纏う。

 だから生きるのが苦しいんだ。


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 「みんなでどうしたらいいか考えましょう」なんて口当たりのいい言葉でまとめる気なんかさらさらない。
 政府の対策なんかも期待してない(どうせ碌なことをしない)

 もうこの旧世代のシステム全てが、限界を迎えているのだと思う。
 中央集権から都道府県制度、地方自治の在り方から何から何までが終わってる。

 このままでは地方は人口が減って、やがて人がいなくなる。
 子どもを産む人が出て行ってしまうからね。
 それもいい。
 そして住みたい人たちだけが自由に住んで、仲良く助け合って暮らしたらいい。

 文化や風習は失われるかもしれない。
 だから?

 誰かを奴隷のように扱い、自由を与えず土地に縛り付けることで受け継ぐものに、なんの価値が?

 未来を変えたいのならば『東京』がなにかしてくれるのをひたすらに待つだけではなく、『田舎』自身もまた変わっていかなければならないということ。

 私が出身地である秋田県で高校生だったころ。
 友人たちの口癖は「東京はいいなぁ」「やっぱり東京だよなぁ」だった。
 その私たちも大人になった。

 たまに帰省する地元は、昔より綺麗になって、風通しが少し良くなったように思う。
 県外や都会からの移住者を受け入れるようになってから大分経つのだけれど、そこから少し変わったような気がするんだよね。 

 変われ。入れ変えろ。変化を恐れるな。
 変わらないものは、停滞しているものは、腐るだけだ。
 生き辛いのは停滞しているからだ。
 誰かに自由にしてもらうんじゃない。自分から自由になるんだ。

 そういうわけで。
 私にも自戒を込めて。


 どうぞ善き一日がありますように。

いつか、地元で見た空。


 

 


 

 

 

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