見出し画像

星読みする人がこれからのパートナーシップについて考えた。

 ネイタルチャートにおいて、いわゆる「結婚に向いてない人」というと語弊があるけど……まあ「縁遠い人」でいいかな、そういう配置がある。

 私が小耳に挟んだのは3つ。

✵ 4ハウス(IC)の天王星。
 親が離婚経験ありか、自分が離婚経験する。
 はい、私の父がバツイチで、私も離婚経験者です。
 どっちかというと、親の離婚経験の影響を受けて自分もその波を被るイメージかな。

✵5ハウスの海王星。
 どなたかがツイッターで「5ハウスに海王星(海王星が入るハウス=消える、曖昧になる)は恋人ができない、長続きしない」と仰っていた。
 挙句の果てには「恋人は現実の人間じゃない方がいいかも」ときたよ……^^;
 あー、これもまさに。
 遊んでないわけじゃないんだけど、続かない。
私が若いときこんな感じで、本当に苦しかった。遊び相手はいなくもない、だけど誰も「本当の私」を知らない。
 しまいには「あの子は遊んでていい加減だから」など言われてキレた思い出。

✵7ハウスのルーラーが12ハウスにある。
 笑えることに、これもなんだよw
 「パートナー(7ハウス)が消える(12ハウス)」だってよ。
 別で読んだなにかには、ややポジティブに「魂が強いので、ちょっと普通の男性では相手になれない」とも書いてあった。
 何ならいいのよ。任侠?人外?妖怪?
 実質、別れてしまう人もいるだろうし、夫がアテにならねえ、という人もいるだろうね。

 これらの悲しい三重苦を背負った私が、その上で、これからのパートナーシップみたいなものを少し考えてみようと思う。

私個人のネイタルチャート。




          ✵✵✵


 最近、80代の母と電話していて、強烈な違和感を感じたことがあった。

 私の実弟のお嫁さんの話なのだけれど。
 私の実弟はわりと気難しくて感情の波がすぐ顔に出る。
 お嫁さんはそれをカバーするように大人しい静かな人で、ずっと夫である実弟の顔色を見ながら話をしていると、母は語っていた。
 お嫁さんは利口な人だからそれができる、良いお嫁さんに恵まれて良かったわーと。

 お、おう……そうかよ……
 私は逆に、彼女、精神状態は大丈夫かなぁなんて心配しちゃったけどね?
 残念ながら、お嫁さんつまり義妹と私との間には交流が全くない。
 タイプが全く違う人間なので、あちらもどうしていいか分からないし、私も口下手だ。どうしようもない。

 日本の家庭って、大概が「嫁が我慢せよ」になりがちだ。
 それはこういう「だって男の子なんだから仕方ないじゃない」で育てた母たち、そして育てられた実弟のような男たち、両方が原因であり。

 そのときも「何故、お嫁さんが我慢して顔色うかがうのが当たり前なの?」って余程聞こうかと思ったけど、やめた。
 どうせ答えられやしない。

 ああ、でもそういうことに疑問を持つこと、それをこんな場所で問うていること自体が、4ハウス天王星の証なんだろうな。
 古き良き家父長制にも強烈な反抗心を感じるし(これも4ハウス天王星の特徴だ)そういう私は、確かに「扱いにくい女」なのだろう。

 その4ハウスの天王星は12ハウスの月、8ハウスの太陽とグランドトラインを作っている。
 だからもうこれは多分、私の「在り方」なんだろう。

 7ハウスは水瓶座。DSCは水瓶座の四捨五入してほぼ18°にある。サビアンシンボルは「消し止められた山火事」
 ざっくり言ってしまえば、トラブルシューターの度数。
 DSCは運命の人、または自分が世界からなにを学ぶか……を示唆しているのね。
 うーん、トラブルシューターでしごでき。知的、評論家。冷静。……?そんな人、会ったことないなw 冷静くらいはあるかもだけど。
 そのDSC付近に火星が鎮座しているんだけど、それは逆に、トラブルメーカーを引き寄せる配置でもあるのよね。そっちが効いてる印象。
 ああ、そうか。
「パートナーが消える」だ(7ハウスルーラーが12ハウスにある)
 魂が強いからw 自分がしごできのトラブルシューターになるしかないのか……(まだ全然、修行中だけど)
 これも多分、こんなことに疑問を感じる理由なのだろう。

 我が家は反抗期の娘と、他責思考になりがちな夫と私の3人。2人は(時期的なものもあるかもしれんけど)しょっちゅう衝突して、その間を私が行ったり来たりしているよ。
 そう、その「女や子供ばかりが我慢する」ことのないように、だけど、きちんと道理が通るように(逆もまた真なり、とは理解してるつもり)

 あー、水瓶座の平等・博愛主義、ここに極まれり……からの、トラブルシューター(DSC)ね。
 ちょうど火星も水瓶座だし、水星も水瓶座極まる最終度数付近だし……

 このテーマから脱線するかもしれないけれど、こうやって考えると「運命の人」は「学びの相手」であり「教師」(反面教師もあるかもしれんけど)であること、パートナーシップそのものが「学び」であることがよく分かる。
 7ハウスはそれをとてもよく伝えている。

 そうだなぁ……トラブルシューター……いいなぁ。私もたまに「あー、限界……もう誰か助けて……(瀕死)」って思ってるもの。
 そんな人が隣にいてくれたらいいな。
 だけど私は弱いから、きっとそれじゃ甘やかされた何もできないダメ人間になってしまう。

 運命の人は隣にいてべたべた引っ付いて甘やかしてくれる人のことではない。
 「運命のトリガーをひく人」の意味もあるだろう。甘いだけじゃなくて、ときには苦く、厳しい。
 その人に見合う自分自身で在ろうと背筋が伸びる相手、それが「運命の人」であると思うんだ。
 ちゃんとそういう人の存在は自分のなかにある。今現在、共にはいないけれど、それでいい。それが私の学びなのだから。
 そう在るなら、これも最初の「何故、嫁ばかりが我慢なのか」に疑問を抱くことの、その理由に充分なり得る。

 だって「男の子は甘やかして育ててナンボ」「嫁とは夫を育てるもの」では、全くその夫 ── それは私の実弟であり、夫であり、友人の不肖の夫であり、全てとはいわないけれど、かなりの数の男性諸氏 ── のためには、はっきり言って全くならないからだよね。
 だって、なんら学べていないじゃない(鼻で笑う)

 それが魂のトラブルシューター(まだ見習い)から見ると、とっても気持ち悪い。
 そうすることで母親自身も自分の学びから逃げているし、同時に息子をもスポイルして、学びに向き合えない人間に育ててしまっているんだから。
 最高に罪深いよね。なんというか。


          ✵✵✵


 すっかり自分の話が長くなってしまってるけどw
 私はこういう性格なんで、基本的に「属性で生き方や、するべき考え方が決められることなど、断じてあってはならない」と考える。

 母はもはや80代の人間だ。
 地の時代の経験、これまでの固定されたモノの見方から全て語っているだけであって、お嫁さんに意地悪をしているわけでもなんでもない。
 これが通常運行なのだ。
 そんな母に、私自身の考えを語ると「極端だ」「ネットの見すぎ」など言われるので、あまり多くを語ってはいない。
 ここで書いてることだってきっと理解しない。
 それはいいよ、別に。
 私も大人だし、子どもの時分からこの人はこうだったので、最早、何も期待してないもの。

 だけどね。
 ひとつだけ言いたいんだよ。
「本当にこのままでいいと思ってんの?」って。

 パートナーシップのなかで女だけが、或いは男だけが我慢する在り方。
 それもまず変だ。
 どちらが我慢するかを性別という属性、ただそれのみで振り分けるのも変だ。
 そして、自身が育てた者がただただ、それもまた他の誰かに大切に育てられた、そのパートナーにひたすら我慢を強いるような人間になっているなら、それは恥ずかしいことじゃないの?
 笑ってる場合なの?母さん。

 決してこの母はお馬鹿ではない。
 当時の女性には珍しい大卒だ(私は高卒だ、あっははは)

 パートナーシップといわれると、どうしても結婚とイコールになってしまう。
 でも、それは旧世代の洗脳なのかもね。

 結婚制度は早晩崩壊するといわれている。夫婦別姓なんぞ導入したら、きっと離婚率はもっと上がるだろう。ハードルがひとつなくなるわけだから。主婦年金も廃止の声が上がっているし。

 いろいろな考え方があるけど、私の考えはひとつ。
 さっさとそんなもん、壊れちまえ。

 誰かに恐ろしく長い時間、無理な我慢を強いることで維持されてきた制度。
 日本の古き良き家庭 ── だけどその影の、誰にも見えない場所でこっそりと泣いていた人たちはたくさんいるんだ。
 そう、最初は母自身がそうだった。
 意地悪な姑、頼りにならない夫。
 だからこそ、お嫁さんの力になってやってほしいんだ。

 同じことを繰り返して、同じ不幸をまた生み出して、一体、何になるんだよ。


          ✵✵✵


 相手と同じ場所に暮らし、同じ意見をもち、頻回で性行為をもち、寄りかかり、依存することがパートナーシップではない。
 いろいろあっていい。
 入籍しなくてもいい。同性であってもいい。私のように心のなかだけで密やかに思う誰かでもいいし、離れて暮らすのでもいい。

 本質はどこにあるんだ、ということ。
 相手から何を学ぶのか。
 また、相手に対してどういう自分で在りたいと願うのか。

 これからのパートナーシップはそういうところに立ち返っていくことになると思う。
 なんといっても、冥王星水瓶座時代だからね。

 最後に。
 私は私なりの「運命の人」を見つけられたことを、とても幸せに思う。
 残念ながら隣にはいないのだけれど、その人から学んだこと、得られたものが数多くあること、それだけで満たされているんだ。
 思う人が隣にいないことが不幸なのではなく、そこに依存し、不在であることで立ち行かなくなってしまう心の在り方 ── その在り方こそが、不幸なんだと思うよ。

 これからの時代に期待したいと思う。
 どうかたくさんの人たちが本来のパートナーシップに巡り会えますように。

 
 

 

いいなと思ったら応援しよう!