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混沌 / 再生

 前回の記録で、今、日本が分断して身内同士で争っていることについて、呑み込まれないように、俯瞰で眺めることが大事だと書きました。
 それについてまた思ったことがあるので、再び書き残したいと思います。

 相変わらず大荒れ(でも少しはマシになった?)のXを見ていて思ったのは、『差別』と『区別』、『誘導』と『強要』、『助言』と『放言』の区別が全くついてない人が本当に多いんだなぁってこと……^^;

 あるところでは、年代などはよく分からないのですが、男性の方が災害下の避難所における女性の生理用品、肌着に関して堂々と『助言』……ではなくて、これは『放言』ですね(冷笑)

 だって、私は女性なんですけど、全く内容が理に適ってないんですもん。そりゃ、鼻で笑うよ。
 生理用品にラップをかけて使え……?

 すみません、今年最初の大爆笑でした!

 多分、この方は女性の体も肌も全く分かってらっしゃらないんですね。
 だからこれは『助言』ではない。
 無責任にも、理に適ってないことを公の場でさも本当のことのように話しているのですから。

 男性ばかりではないです。
 女性も結構、やらかしてます。

 どこかの男性だけで身を清めて行う裸祭。
 それに女性も参加する!という動きがあるらしい。

 いやまぁ……ジェンダーレス社会……うーん。

 そこは一般社会のそういったムーブメントとは、一線を引くべき場所ではないでしょうか。
 平等、確かに結構です。
 けれどその一般社会から持ち込んだ『平等』を無理にごり押しすると、その神事の意味は歪むのではないかと思うんですね。

 神は神、ヒトはヒト。

 最近はあまり見なくなりましたが、ちょっと前までいた『ファミレスでもどこでも赤ちゃんのおむつを変えてしまう人』を思い出しました。
 そういう種類の図々しさ。

 大体、その神事に参加するならば、男性と同じように、なかなかのハードな内容で身を清めなければならないはずなのです。
 それともそこだけはレディースメニューを要求するのでしょうか?

 この辺は『区別』と『差別』の線引きを勘違いしているように私には思えます。
 神の世界とヒトの世界を混同するどころか、男性と女性の区別を差別として一緒くたになってしまっている。


 『誘導』と『強要』これもまた然りです。
 性被害を受けた!と主張する方(女性が圧倒的ですが、これは身体的格差によるものなので、仕方がないと思います)に『合意だろう!』と返す方。

 まあ、それ以前にその性被害を受けた方の状況も、前後関係も何も分からないわけなので、何も知らない部外者が合意もなにもないだろう、と思うんですよねぇ……(冷笑)

 訴えられている御本人様が『いや合意だよ』と仰ってる場合もありますし、なにせ密室でのことなので『強要』を『誘導』と呑気にも勘違いしているのか、それとも単なる『誘導』を被害妄想的に『強要』としているのか、それはどちらかなんて分かりませんが。


 ジェンダーレス、平等、統合、大いに素晴らしいと思うんです。
 だけど、線を引くべき部分は引かなければならない。

 男は男、女は女。
 立ち入るべきでない領域というのは必ずやあって、そこはお互いに口を出すべきではない。

 心と体の性別が一致せずに苦しんでいらっしゃる方がいるのもまた事実です。
 ですが、そういった方は苦しんだ分だけ、それなりの覚悟をみな持って生きられています。

 つまりそれなりの覚悟も何も持たない、ただ異性にマウントを取りたい、同じ扱いを受けたい、それだけの者は口を出す資格はない。


 最後に挙げた例も同じです。
 その『行為をもつ』ことで『強要』は『合意』になるのではありません。
 どこまでいっても『強要』は『強要』です。

 そうして相手がたとえ自分の言いなりになってくれたとしても、それは単なる『支配』です。
 そこに敬愛の念は全くない。

 逆も同じです。
 それが虚言だったならば同じ結末を迎えることになろうかと思います。
 罪悪感では相手を縛れない。

 ── それで満足なのならば、まあなんと志の低いことよ。

 私たちが今、取り戻さなければならないのは── 社会的正義も国民主権も大切だけれど ──各々の人生に対しての希望、そこからの誰かの人生に対しての尊厳を尊重すること、それから『神』の意味をもう一度問い直すことではないでしょうか。

 言葉にすれば難しくなってしまうけれど、端的にいえば『自分の人生から逃げるな!』ってこと。
      
 今は誰もが生きていくのが辛い。 
男だって女だって、高齢者だって若い人だって。みんなそうだ。 

 なんでそんなことが言えるんだよ!一番キツイのは◎◎だろ!ってツッコミがきそうだけど。

 私のステータスw は『中年の女』だ。
 それ以外の自分を、今、ここでリアルに体験するなんてことは、現代の科学ではできない。
 あなたもそう。お互いさま。

 つまり明確な比較の物差しがないよってこと。

『女ばかり得して!』
『男ばかり優遇されてる』
『高齢者ばかり!』
とか思ってしまう人は多分、自分の人生に疲れていて、きっともう逃げたいんだろうね。

 分かるよ、気持ちは。
 うちの夫がそうだからね。
 それ、ずーっと聞かされてるから。

 だからって、その自分の属性以外の者を叩いて何になるの?
 聞かせられた方は不愉快になるだけ。
 それで一時の鬱憤は晴らせるかもしれない。
 でも、それは何の解決にもならないよ。 

 それに、自分の人生を大切にできない人は、他人の人生も大事になんかできやしない。
 当たり前だ。
『人生を大切にする』ってことが何か、全く分かっちゃいないんだから。

 『神』の意味だって、そうだ。
 このスピリチュアル全盛の世の中に、ずっと思っていた。

 即物的な願いを叶えるのが神なのか?
 大きい家に住みたいとか、派手な車に乗りたいとか、そういうのを。

 叶ったとしても、それは『神』の力じゃない。あなたが望んだからだ。

 『神』には『神』の世界がある。
 多分、それは人間社会の理なんか相容れない世界だ。

 各国の神話を読んだことがある人なら解ると思う。
 『神』は私たちが思っている以上にクレイジーだ。暴虐で放埒で、私たちの理解を超えている。ヒトに親身になるなんて、多分、できない。

 つまり。

 人間はみな自分の人生から逃げられないよってこと。
 与えられたもの、選べなかったもの。
 ここでいえば『性別』『属性』
 そこから逃げたいなら、それなりの覚悟をしなさいよってこと。
 但しそれはきっと、元の性別、属性で戦うよりももっと厳しい茨の道だ。

 当たり前だよ。
 今頃、気がついたの?

 昨日から冥王星が水瓶座にまたやってきた。

 えへへ。

 正直、私、ワクワクしてるんです。
 ホロスコープ上の火星も水星も水瓶座。DSCも水瓶座。
 しかも人生で唯一、なんか運命感じてしまった人の、その人の小惑星Almaも水瓶座(しかもDSCと合!)

 何が起きるのかな。

 世界が変わる。
 広い意味ではなかったとしても、少なくとも『私自身』が見ている世界は変わる。
 でも、そんな星の配置の方が世界には私だけじゃなくて、たくさんいる。
 なら『世界が変わる』って、そう思ってもいいよね?

 分断している暇はないの。
 世界の変化に追いついて、追い越して。

 次の世界は、必ずやきっと、あなたと。
 ── なんて。


 読んで頂いて、ありがとうございます♡
 どうぞ皆様に善き冥王星水瓶座時代がありますように🌟

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