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小川未明「牛女」と私〜女子の生き様

ある村むらに、脊せの高たかい、大おおきな女おんながありました。あまり大おおきいので、くびを垂たれて歩あるきました。その女おんなは、おしでありました。性質せいしつは、いたってやさしく、涙なみだもろくて、よく、一人ひとりの子供こどもをかわいがりました。
 女おんなは、いつも黒くろいような着物きものをきていました。ただ子供こどもと二人ふたりぎりでありました。まだ年としのいかない子供こどもの手てを引ひいて、道みちを歩あるいているのを、村むらの人ひとはよく見みたのであります。そして、大女おおおんなでやさしいところから、だれがいったものか「牛女うしおんな」と名なづけたのであります。
引用:青空文庫 牛女 小川未明

🥚🥚🥚


ゆで卵を加工する工場で働いていたときのこと。
その一連の作業工程は、ゆで卵の殻を剥き、傷のないきれいなゆで卵を手で確認し、選別する。
選別されたゆで卵を調味液につける。それをパックにしたものを冷却し、プラスチックのケースに入れる。

それをいくつも入れていっぱいになったら、そのプラスチックのケースを台車にのせ、肩の高さまで積み上げる作業を彼女はしていた。
ものすごい力仕事で、筋肉が痙攣するのだろう。体を揺すりながら作業をしていた。とても辛そうだった。

私は思わず彼女に、「代わりましょうか?」と言ってしまった。言ってしまった瞬間、後悔した。
彼女は私の体を眺め回し、首を横に振って「いい」と断った。

私のような貧弱な体では、そのケースを持ち上げること自体不可能だと判断したのだろう。
私も私でできそうにもないことを言い、ただ彼女に気を遣わせるだけの馬鹿な質問をしたと思った。

私はなるべく、彼女の負担にならないように作業台に乗っているケースを彼女の呼吸に合わせて滑らせて渡した。

彼女は体を揺すりながら持ち上げ、下から順番に積み上げていった。一つのケースで20kg弱あったと思う。女性のやる仕事ではないと思った。けれども、人件費の安い女性がこのような過酷な労働をさせられるのである。

私は彼女より、過酷な肉体労働ではなかったにもかかわらず、その工場は1年しか体が持たなかった。

彼女には幼い息子がいた。彼女は息子のために必死で働いていた。

彼女のことを思い出すと、小川未明の「牛女」を思い出す。

大女の「牛女」は力持ちで、息子を養うために力仕事をしていた。
彼女は「おし」で耳が聞こえず、自分がそのことにより、息子が肩身の狭い思いをするだろうと考え、それに負けないような大きな愛情で息子を育てた。

世界中にこのような「牛女」がたくさんいると思う。頭が下がる思いである。





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