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いじめられていたのかもしれないな~女子の生き様~

女の子はグループを作りたがる。そのグループで遊んだり、勉強したりする。そして、トイレまで一緒に行かなくてならない。

中学生の頃から過敏性腸症候群だった私はトイレくらい一人で行きたいと思って一人で行動していた。グループで行動することに馴染めず、一人でいた。

学校で予防注射を打つときも私の番までは誰も待っておらず、一人で教室に帰っていた。私は、友達に待ってもらうのは申し訳ないと思っていたので一人でいても、平気だった。

女の子同士が偶数でいる時は、いいのだが3人になると一人の友達を二人で取り合うことになる。横に並んで歩きながら仲の良い人気のある友達に話しかけようとすると、間に割って入って私を手で抑えながら私が話すのを邪魔する友達がいた。それに負けずにどんどんと話しかけていたが、その状態を第三者のクラスメイトが見ていて、私の話を制止する友達にたいしてドン引きしていた。私はそこで初めて嫌がらせを受けていたことに気づいた。

私だけ、話の輪に入れないことが多かった。初めのうちはなんで私にも教えてくれないのと怒っていたが、話の内容がことさら面白いものでもなさそうだと気づいた私は、仲間外れになっても興味がなくなっていたので平気な顔をしていた。

私は大人しく気が弱いので、友達に理不尽な扱いを受けたことがある。今でも、それが許せずその友達とは縁を切った。バンバンと縁を切りまくってきたので、子どもの頃から未だに連絡をとっている友人は一人しかいない。

私は子どもの頃いじめられているとは思っていなかったが、いじめられていたのかもしれないなーと大人になってから思うことがある。いじられてもそれを笑いに変えていたので、いじめられているという感覚がなかった。でも、その根底には私をバカにしている気持ちがあったのだと思う。それに気づいてその友達とも縁を切った。
人間関係は断捨離をしまくって生きている。友情は一生ものだという人もいるが、本当にそうかと思うときがある。ことさら女の友情は脆い。

私にも寂しいという感情があるが、自由に生きられないのならば、一人でいた方がましと子どもの頃から思っているので大人になってから急に変わるものではない。一人で行動できない女性は特に苦手だ。大人になってからも共通の価値観を強いられるのは耐えられない。これは、都会より田舎に顕著に見られる。田舎の人は優しいがその優しさは共感が得られる者に対して発揮されるが、それ以外は手のひら返したように冷たくなる。都会は初めから冷たいので、ギャップにやられることはまずない。

ここまで書いてきて、私は偏屈で気難しい性格だなと自分でもあきれてしまう。しかし、直しようがない。夏目漱石の小説を読んでいて自分に似ているなと思うキャラクターがいて安心してしまった。

とかく、この世は生きづらいが、こんな自分を抱えて生きてゆかねばならない。まことに面倒くさいが、一人でも強く生きられるよう頑張るしかないのである。


↓こちらでも記事を書いています。興味のある方は読んでみてください。


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