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〔169〕竹下登が「一の國體秘策」を実行した

〔169〕「一の國體秘策」を推進した国士竹下登
 東シナ海沿岸の工業化地帯だけにせよ、衣食足りてきた中華人民共和国が
軍備を拡大するのは、第一に異民族の蒙古・チベット・満洲・ウイグルを巻き込んで造った「大中華共産主帝国」の領内統治のためですが、それは本音であって国内で唱えることができません。
 軍備正当化のためには、必ず外敵来襲の可能性を唱え続けなければならず、宿敵ソ連が崩壊した今となっては必然的にアメリカを主たる外敵と見なすことになります。
 このことをあらかじめ読んでいたのが「國體天皇府」です。ポストWWⅡの世界を、アメリカ合衆国とソ連の二極支配にするように図ったのは「ヴァチカン」と聞いたのは四半世紀も前のことですが、落合はいまだにその正確な意味を理解していません。
 今日の世界政治の動向を支配する動因が國體天皇府(世界王室連合)と国際共産主義者(トロツキスト連合)の対立構造にあることを覚った人々が近来増えてきました。落合もその一人ですが、「ヴァチカン」と聞いた時、それがいずれかの陣営に属するものか、なかなか判断がつかないのです。
 尤も米ソ二大覇権の対立が実は「米ソ・インチキ体制」であったことが史実として確定した今日、すでに答えが出ている問題を今更時間をかけて究明する必要はないと思います。
 さて曲がりなりにも衣食が足りるようになった中国が中華思想の発露として周辺に侵攻することは、真の史家なら予想に難くないのです。
 邦家の幸いはポストWWⅡ晩期の政界に竹下さんがおられたことです。ロッキード事件で総理の座を追われながら「一の國體秘策」を推進していた竹下さんを支えていたのは竹下派と金丸派が接合した「竹下七奉行」で、接着剤の小沢一郎を併せて「コンチクショウ(金・竹・小)」と呼ばれました。
 日本が身を捨てて中国を支援する「一の國體秘策」を、労せずして得する
中国が歓迎したのは当然ですが、捨身飼虎を敢えてする日本の真意を中国首脳がどの様に理解していたのでしょうか。正確なところは判りませんが、損する場合と違い、得する時にはその状況を余り疑わないのが人情の常です。
 ともかく中国首脳は「日本から戦争被害の賠償金を取り立てている」と公言し、人民はそれを信じ込んだことについて、多くの証言があります。
 そのような状況の中で「ことの真相に気づいていた中国首脳がいた」と落合は考えています。その名を挙げれば「李鵬」です。
 昭和三(1928)年に生まれた李鵬は、父が国民党に殺されたため周恩来夫妻の養子となり、養父母を後ろ盾として出世したことで「太子党」の魁とされ、昭和五十一(1976)年に周恩来が他界した後は水力発電事業を所管する部局で順調に昇進し、昭和五十七(1982)年の党大会で共産党の中央委員に選出され、翌年に国務院副総理、昭和六十(1985)年に政治局委員を経て、昭和六十二(1987)年に共産党総書記に転じた趙紫陽の後任の国務院総理(首相)代行に指名され、翌1988年に正式就任します。
 李鵬の好敵手は2歳上の江沢民です。経歴は省略しますが上海市長汪道漢の後継者で1989年の天安門事件で失脚した趙紫陽総書記の後任に就いた江沢民に対し、「天安門事件」で学生たちを惨殺したとされた保守派の李鵬は、国務院総理に留まったままで、1994年に国内の大反対を押し切って「三峡ダム」の着工を強行します。
 落合はこれによって、李鵬が中国共産党内で「一の國體秘策」を秘かに持していたと推察いたします。 理由は、もしも将来傲慢の極に達した共産中国が日本に来襲しようとした場合、これを抑える役割を果たすのが「三峡ダム」だからです。また共産中国が対峙する台湾に侵攻しようとした場合も、台湾軍による「三峡ダム」の爆破を防ぎようもありませんから、その存在が抑止力を発揮することが明らかだからです。
 このことを深く理解していた水利技術者の李鵬が、「三峡ダム」の建設を敢えて強行したのは中国の暴発を抑える装置を造ったわけで、まさに「一の國體秘策」の中核をなすものです。
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