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〔231〕四柱推命と「記憶遺伝」

 〔231〕四柱推命と記憶遺伝
 〔大東亜戦争の総括〕が二転三転し、終に「因縁」と「記憶遺伝」の関係に至りましたが、この「因縁=記憶遺伝」論こそ「わが畢生の大業」と考える落合はその詳論を後に回し、その前に二、三言っておきたいことがあります。
 落合がこのnoteを始めたのは二年半前です。目的は幾つかありましたが、主なものは、➀時務」を論じること(時務観想)と、➁命理学(四柱推命)を稽古することです。
 時務に関して思い出すのは二年前の令和四(2022)年十月十八日に投降した〔72〕の「岸田文雄は十三代将軍家定の相似象」です。あれから丁度二年経つのでご存じない方もおられようと思い、全文を以下に掲げます。
 
〔72〕令和四年10月18日 時事雑感
 岸田首相は十三代徳川将軍家定の相似象か?
 白頭狸(当時は落合莞爾)が警世を志して『平成日本の幕末現象』の執筆にとりかかったのは平成元年三月のことであった。当時の内閣総理大臣は自由民主党第十二代総裁竹下登であったが六月に辞職し、後を継いだ十三代総裁宇野宗佑が執筆完了時の首相であった。WWⅡで連合軍に敗れた日本は、終戦直後は国連軍(実質は米軍)の占領下に在ったが昭和二十七年に発効したサンフランシスコ平和条約により独立し、自由主義陣営の一国となるが、その後も米軍の駐留は続く。昭和三十(一九五五)年には保守と革新の諸派がそれぞれ統一して自由民主党と日本社会党になり、アングロサクソン流二大政党制の「五十五年体制」が成立した。
 これらの事実を具さに眺めると、この時成立した「戦後日本」は真の独立国に非ず、米軍の軍事保護国として間接占領されたままで、サンフランシスコ講和以後の四十年余を過ごしてきたことは否定すべくもない。十三世紀から十五世紀まで二五〇年にわたり、ロシアを苦しめたかの「タタールの軛」に喩うべき「メリケンの軛」の惨状である。このまま放置すれば、今後数世紀にわたり日本民族の災いになりかねないではないか!
 折から昭和末・平成初にかけて日本列島を覆ったバブル景気で沸き立つ日本をみた白頭狸は、今こそ草莽崛起の時宜とみて、之を促す警世の書として『平成日本の幕末現象』を自費出版したのである。
 「五十五年体制」は、二大勢力の交代を「憲政の常道」とするアングロサクソン流の政治体制でなく、実は保守勢力と革新勢力が2対1の比率で談合し調和を前提に対立する談合政体であるから、政体の主体は常に自由民主党と観るべきで、あたかも江戸幕府のようなものである。
 政体主体たる自民党では初代鳩山一郎から数えて十三代目の総裁宇野宗佑が、暗愚とされた十三代将軍徳川家定に当ることを歴史相似象とみた白頭狸は、これを以てあと二代で幕末維新に至ると判断したのである。
 現実はご高承の通りで十四代海部俊樹に続く十五代宮沢喜一を以て自民党幕府は倒壊する。時は平成五(一九九三)年七月の頃であった。
 その後にできたのは非自民八党の連合政体で、自民党政体の倒壊後最初の政体であるから、形だけは「維新政府」と言えることになり、首相の日本新党代表細川護熙で、明治新政府の首班となった三条実美に喩えて良いであろう。
 その後は自社が談合した「自社さきがけ」政体で、社会党の村山富市が首相となった。喩えるとすれば大隈重信である。
 自民党が単独政権を再建したのは平成八年のことで、橋本龍太郎以後小淵恵三・森喜朗・小泉純一郎・安倍晋三・福田康夫・麻生太郎と自民党政体が一三年続くが、平成二十一(二〇〇九)年に民主党が政権を奪取し首相に鳩山由紀夫がなる。その跡を継いだのが菅直人・野田佳彦である。
 平成二十四(二〇一二)年、三年ぶりに民主党から政権を奪取した自民党が建てた政体の首相に安倍晋三が再任するが、令和二(二〇二〇)年に跡を継いだ菅義偉が令和三年に岸田文雄にバトンを渡す。
 形式的維新政府の初代首相は細川護熙で、二代が村山富市・三代橋本龍太郎・四代小渕恵三・五代森喜朗・六代小泉純一郎・七代安倍晋三・八代福田康夫・九代麻生太郎・十代鳩山由紀夫・十一代菅直人・十二代野田佳彦ときて、次は安倍晋三だが再任のため飛ばすと、十三代が岸田文雄となり、徳川家定の相似象が出現したのである。(引用終り)

 
 というわけですが、対米迎合に徹するためロシアと断交してゼレンスキー支援に勉めたほか、重要な国事事項に優柔不断で対処した岸田文雄はまことに曖昧模糊とした宰相です。
 この間保守政党としての自民党を支えたのは高市早苗で、これまさに家定の御簾中天璋院篤姫の相似象でありました。

 岸田が政権を放棄した後は、ご高承の経過で、誰が推すでもない万年候補石破茂が宰相となり、嗟嘆の声が宇内に満ちていますが、米州でトランプが次期大統領に当選したこともあり、これで日本が終わる事はありません。
 岸田文雄が「十三代将軍家定」としたら石破茂は「十四代将軍家茂」に当るのでしょうか。長州征伐のために征西した家定は大坂城で急病死したとされますが、実は江戸幕府閉幕の重責を担う慶喜に将軍職を譲るために偽装死を遂げたのです。つまり、木戸孝允が「家康の再来」と評した英傑慶喜にその座を譲ったためで、無為に終わった訳ではありません。
  その偉材家茂に石田茂を比すのはさすがに気が引けますが、折しもアメリカ大統領にトランプが就いたことですから、石破さんがどのような形で「自民党幕府」を閉幕するのか見守るしか観るしかありません。
 それはそれとして、白頭狸が比叡山延暦寺の第二百五十八代座主大樹孝啓猊下から南光院長臈爾應法師の法名を賜ったのは令和五(2023)年三月一日の事です。
 その後の十二月に白頭狸が得度を受けた仏教の師東光院智應大僧正が天台宗の「探題」に任ぜられました。
 この慶事の意義については〔106〕に述べたので、興味ある方々はそれを御覧頂きたいのですが、比叡山の高僧は目下、筆頭探題の大樹孝啓座主から順に次席が滋賀院門跡、三席が曼殊院門跡、四席が熊本の常楽寺、五席が妙法院門跡と同時に探題に就いた妙法院門跡代行東光院というわけです。
 そこでわが師の東光院探題の仏教界における将来の見通しはいかに? 
 これを探るため落合南光院は、かねて覚えのある命理学(いわゆる四柱推命術)を試みることにしました。この後は有料領域です。

 

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