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〔218〕スサノヲ出雲族、ニギハヤヒ物部族、ホアカリ海部族とアヤタチの関係 【9/21朝に重複部分を削除して重要事項を加筆しましたのでお見逃しなく】

〔218〕スサノヲ出雲族、ニギハヤヒ物部氏、ホアカリ海部氏とアヤタチの
 の関係
  政権与党の自由民主党は目下総裁選挙を前にして騒いでいますが、現在の政権は自民党の単独政権でなく、創価学会の実質下部機関たる公明党との連立政権が平成十一(1999)年以来続いています。
   落合がこれを見て思うのは、神武天皇のヤマト政権が天孫族の単独政権でなく、「物部氏との連立政権」だったことです。
 いわゆる「神武東遷」については、その存在の有無をも含めて様々な憶測が巷間に溢れていますが、そもそも天孫皇統は、少なくとも神武天皇以後は「万世一系」で、禅譲放伐に会わず血統断絶もなかったことから、代々その職の舎人たちが誦唱により伝えてきた「歴史事実」が、そのまま今日まで残っていて当然です。

    むろん、文字の使用が始まってからは、宮中でも誦唱の内容を文字化して文書とする作業が行われて当然ですから、今日もその文書が宮中関係のどこかに秘蔵されていると落合は思っています。
 因みに、落合が平成十五年ころから、高松宮喜久子妃殿下の「國體秘事伝授」を受けたとき、伝達を媒介してくれた國體舎人からの仄聞では、國體の重要文書は最近まで「桂宮宜仁親王」の管掌下にあったとのことですが、平成二十六年の親王薨去後はどこへ行ったのか? おそらく今上のもとに遷されたと思われます。
 ところで落合は目下「天孫族」の出自についての洞察を停止しております。理由の第一は、落合が高松宮妃殿下から授かった「國體秘事伝授」が「出雲の国譲り」以後の事しかないからです。

 「國體秘事伝授」で「欠史八代の真相」を伝えられた落合が続いて教わったのは、『記紀』にいう「国譲り」が、実は「欠史八代の最後の開化朝の時代に進出先の任那からイニエ(崇神)が帰朝した史実を、「八重事代主の国譲り」と置換した」事です。
 つまり、『古事記』がいう「八重事代主による出雲の国譲り」とは、神武王朝の九代開化が、任那から帰朝したミマナイリヒコ・イニエ(崇神)へ譲位した史実をモデルにして「八重事代主から天孫への国譲り」の話を創ったものと教わりましたが、その時、付け加えて「まあ、天孫族の祖先はアチコチで金を探してきた一統として理解してください」と言われた落合は「それ以前については今のところ、あまり追及せぬように」との「含意」を感じたので、「神武東遷」以後についてのみ日本史の洞察を行ってきました。
 「出雲の国譲り」は、史実では「神武東遷」のことを云うはずで、時期については落合は「長浜浩明説のBC70年」を採ります。とすれば、その九代後の崇神の即位はAD200年あたりとなります。

  理由の第二は、近来歴史研究の対象が広がり、世界史に及ぶようになった落合が、天孫族に限らずユダヤもケルトも、その祖先を「ギリギリまで探る必要はなくおぼろげに見当がつけば善い」と感じているのは、どの民族史においても「歴史」と「神話」の調和が必要と考えるからです。
 いわゆる「神武東遷」については、その存在の有無をも含めて様々な憶測が巷間に溢れていますが、そもそも天孫皇統は、少なくとも神武天皇以後は「万世一系」で禅譲放伐に会わず血統断絶もなかったことから、代々その職の舎人たちが誦唱により伝えてきた「歴史事実」が、そのまま今日まで残っていて当然です。
 むろん、本邦で文字の使用が始まってからは、代々の「歴史シャーマン」が誦唱して伝えてきた内容を、文字化して文書とする作業が行われて当然です。
 異民族の侵入やクーデタ・革命などで王朝が交代する際には、歴代の歴史文書の破棄滅失はあるのでしょうが、万世一系の日本皇統においては破棄滅失なぞある筈はなく、宮中関係のどこかに今も秘蔵されている、と落合は思っています。

  昨日、奥伝受電者をも含めた戦略思想研究所の中森護さん主宰の落合塾の収録があり、落合はユダヤ人について所感を語り尽くしましたので、会員の諸兄姉は是非お楽しみにしてください。

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