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〔202〕米軍上部と親交あり、日本主義から離れた山本五十六 7/21修正
「202〕米軍上部と親交あり、日本主義から離れた山本五十六
前項〔201〕でみたように、「敗戦記」は、WWⅡの真の敗因を見極めたい周蔵が、かつて直接仕えた三人の上官について、その言動を思い出しては彼らの人類観、世界観および祖国観を探ろうとしています。
まず上原勇作について、その策謀家ぶりを周蔵は語りますが、落合がその意味を具体的に説明できるのは、葦編三絶するほど「周蔵手記」を読み込んだからです。
「敗戦記」には、「中野正剛がたたいた田中義一内閣のシベリ出兵」も上原が裏面から仕掛けた、とありますが、上原と中野正剛の関係について考察した史家を落合はまだ目にしていません。しかし、上原と大東社、大東社と玄洋社、玄洋社と中野正剛のリンクを知る者には一瞬でわかることです。
次いで甘粕についてです。「敗戦記」を続けます。
「敗戦記」続き(承前)
△ある時、尊敬する貴志さんから、「甘粕に関しては気を付けて関わった方がよい。君が知っている甘粕は、「東西南北の西の部分」といった一面でしかあるまい、と思う。「君が知っている妻君が甘粕の本当の妻君であるか否か疑問である」と云われた。
また石原さんからある時、「甘粕をどう思う」と聞かれた。父は「甘粕さんが東条さんの脳みそなのではないか」と答えた。「では甘粕はどんな脳みなのか」と聞かれた。
父はこの時から、甘粕さんという人物を考え直すようになった。
それまでの父には主義があった。自分以外の人間の事は分析しないと決めていた。できるだけ他人にはかかわらないようにしようと決めていた。
然し、そうもしておられなくなった。時代が急激に変化し、父のような人間でも心配な時代になったのである。
△それまでの父は他力本願であり、世の中のしくみや動静など、自分からは遠いことで、自分が考えてもどうしようもない事だ、と考えていた。然し、そうではないと気が付いたのだ。
つまり他力本願なら他力本願なりに誰に偏るかを決めなければならない。そうしないと、偏った人物を通して父も誤りを犯すことになると思ったのである。
よって改めて過去を振り返ったのである。石原さんがそのきっかけを下すった。「甘粕の脳みそはどんな脳みそであるか」と。
△落合(落合朝彦)さんに会って知ったことは、山本五十六がアメリカの軍政の上部と関係を持っている、という事っだった。
それをどこまで確かとしてつかんでいるかというかというと、落合さんは確たるものはつかんでいなかった。ただ山本五十六から外国資料や書物の翻訳を何度か頼まれたことがあり、その時気さくな人物だけに、気軽に世間話ができた中から、親交のある人物がいることを察したことと、日本の国家主義からは離れた人であることを知った、というのだ。〔引用終わり〕
〔解説〕いかがでしょうか。まさに驚くべき内容ではないですか!
この先は有料領域です。
山本五十六から文書・書籍の翻訳を頼まれていた落合朝彦が周蔵に明かしたのは、まさに驚くべきことでした。
五十六が米軍の上層部と親交があること、また五十六の心情は祖国日本が掲げる国家主義とはかなり隔たっている、ということです。
これを聞いた周蔵は直ちにこれを古賀峯一と石原莞爾に報告します。
「敗戦記」を続けます。
「敗戦記」続き(承前)
古賀さんにも石原さんにも報告したが、それではまだ弱い。確たる何らにはならなのだ。父は石原さんに、「一か八かではあるが、実は宣教師から入手できる」と話した。
然しそれは、宣教師の意図はともかくとして、日本に対する翻弄作戦なのかも知れないのだ。
石原さんは、「いいではないか。この際翻弄されようではないか」、と云われた。父が宣教師とひそかに付き合いだしたのはそれからであり、S16年の頭の頃であった。
それから山本五十六ばかりでなく、海軍を中心に父は調査を始めた。宣教師からかなりの重要な事を知った。
井上セイビ(成美・海兵37期)という人物は「無線を操り、アメリカに独自に連絡を取っている」事も宣教師から聞いた。鎌倉・逗子・横須賀の芦名という所にアメリカ発のスパイがおる事も分かった。然しそれは日本人であり、属している宗教がキリスト教である事と分かった。
キリスト教にも種類があって、「福音協会」とか「エホバ」とかいうのが頭に付いたりしない「カソリック」「カトリック」と書いた教会、「聖イグナチオ・キリスト教会」のようなところが本拠となっていることも分かった。
父は、わずかの情報でも入手すれば、石原さんには知らせた。
このころ父は、やっと一つの事に気が付いていた。それは父の付き合ってきた人物たちの中で、思想を持っていた人物は石原さんしかいなかった、という事である。
石原さん以外の人たちから、父は思想を聞いた事がなかった事に、父は気が付いた。石原さん以外に貴志さんには主義があった。「将来はこうする」という思想に、理想ではなく主義があり、それに徹した。
石原さんは、「満蒙問題を解決するは急務」と考え、関東軍司令官だった本庄(繁・9期)や三宅少将(光春・13期)などを躍らせて、文字通りの下剋上を行っていたのである。
満洲事変だけは石原さんにとって必要だったのである。いずれ世界終戦争になるから、その前にアジアが連合し、最終戦争に立ち向かい、平和的統一世界(アジアはアジアとして)を実現する、という事なのである。
それが石原さんの思想=理想であった。
石原さんは自らを日蓮上人の生まれ変わりと云い、日蓮の思想が頭の奥に届いてくる、という天才型である。
平和的統一世界の実現と最終戦争を迎えた時、少なくとも日本がそれに対処するには、「アジアの結合は必至なものだ」と云われた。
その基礎作りのために、満蒙問題解決は絶対の急務であるとか説かれた。
「敗戦記」引用終わり。
〔解説〕
これまで知り合った人物で「思想」を持っていたのは石原莞爾だけ、と周蔵は語りますが、この「思想」とは「理想」のことで「目指すべき方向」ということか、と落合は思います。
石原以外の人物は「理想がない」つまり「他力本願の状況主義」だという訳ですが、ただ貴志彌次郎には「思想」はなくとも、定められた方向を貫き通すという「主義」があった、というのです。
大正九(1920)年、奉天特務機関長となった貴志彌次郎は、参謀総長上原勇作の密命により奉天督軍張作霖との懇親に勤め、その人柄によって張作霖と「無二の親友」ともいえる仲になります。
ところが、満蒙問題に対する日本の方針が揺らぎだします。当時その原因を知る人は内外でもほとんどおらず、まして今日の学者にはいない、とみて良いようです。
満蒙問題関する日本政府の方針が揺らぎだしたのは、つまるところ「國體天皇府の意向が固まったことによる」と落合は考えますが、詳論は後日のこととして、今は本題を進めることとします。
古代ユーラシア・アフリカに成立した大帝国は、各地の覇権が軍事征服した近隣の諸国・諸民族を、あるいは自ら(宗主国)の属領(朝貢国)とし、あるいは併呑して従属民(奴隷階級)としたことで成立しました。
諸王国の非対等的な連合が「帝国」で、その王は「王の王たるもの」として「皇帝」を称します。
「国」とは言語・血統・文化・宗教のいずれかを共通要素とする一以上の民族が、外圧に拮抗するために自然発生した外郭勢力が形成する「系」の謂いですが、その「系」すなわち国がいくつか、軍事力によって統合されて形成された「系」が「帝国」なのです。
つまり「帝国」とは、宗主国と従属国が形成する「一つの系」なのですが、本来の性格として常に膨張・拡大しようとする傾向があります。要するに「帝国」には膨張主義が必ず内在していて、逆にいえば膨張主義こそ「帝国主義」の本質なのですが、ここではその理由にまで言及いたしません。
地域帝国の宗主国はその政体の王政・共和政を問われないので、現代の「南北アメリカ帝国」の宗主国USAは共和制で民選大統領が皇帝となり、一方「中華帝国」の宗主国コミュニスト・チャイナ(中共)の政体は独裁政党制で、その書記長が皇帝となっています。
WWⅠ後の世界で始まった列強による「経済のブロック化」は、列強が自らを宗主国とする「経済系」を作ろうとした動きです。
英仏蘭米など東南アジア、西アジア、アフリカ、南アメリカの植民地化において先行した列強ならば、現植民地をそのまま囲い込むだけでブロックを形成できますが、諸般の理由で植民地化をたいして進めてこなかったドイツ、イタリアおよび日本が新らたなブロックを形成するのは容易なことでなく、既成植民地背力との衝突は避けられません。
石原莞爾が帝国陸軍から戦略を委ねられたのは、まさにこの時期だったのです。石原莞爾の主たる任務は、日本帝国が進めるブロックの対象地域とした東南アジア諸国を、英仏蘭の宗主国から解放して独立させ、日本を盟主とする「大東亜連盟」を創設することにあったのですが、大日本帝国には、これと並ぶもう一つの世界史的な使命がありました。
それはコミンテルン(国際共産主義)の日本への侵入を防ぐことです。WWⅠに参戦したロシア帝国を後方から攪乱して起こしたロシア革命で、最終的に政権を奪取した国際共産主義者(トロツキスト)のレフ・トロツキーとウラジミール・レーニンらが建てたのが労農政権ですが、やがてレーニンの股肱ヨシフ・スターリンが國體共産主義(一国社会主義)に目覚め、トロツキーらを追放、レーニンを暗殺して共産党書記長となり政体を掌握します。
ソ連共産党の実体をトロツキズム(国際共産主義)から國體共産主義に切り替えたスターリンはその後も対外的には国際共産主義の看板を立て続け、「第三コミンテルン」と称しますが、この間に欧州にも「生産手段の社会による公有」を唱える独裁政党が出現し、ドイツでは「国家資本主義労働者党」すなわちナチス、イタリアでは「国家結束主義者党」すなわちファシストとして政権を建てます。
自由市場主義経済を否定し、経済統制主義および生産手段の公有を主張するファシズムと國體共産主義は、大まかにみれば大差ないのですが、宗教・文化・君主制など地域文明の伝統に関して決定的に異なるのは、「国是としてマルクス史観を採用するか否か」が現れたから、と落合は思います。
つまり実態が國體共産主義であっても、マルクス史観を国是としたソ連は、
全世界における君主制廃絶を建前として掲げ続けることとなりますが、これは太古から一君万民制で国民統合の象徴として天皇を仰ぐ日本の國體とは根本的に相容れないものです。維新後に英米の植民地主義すなわちグローバリズムの本質を覚った日本人は植民地解放こそ民族の使命と自覚し、これを国是として英米と一戦を構えることも辞さない覚悟が国民感情の基底に満ちてきて、発生したのがいわゆる「日本主義」です。
これと対発生したのが「無政府共産」を叫ぶアナキスト勢力ですが、その信念の根底は外来思想で、トロツキーらが唱える「国際共産主義」が侵入してきたのです。
WWⅠ後の日本政体は、グローバリストが支配する財界の意見を代表する政党と、内務官僚と軍部が裏面で結託した軍官連合との勢力均衡の上に立っていますから、新英米主義のグローバリズム財界と反植民地主義の「軍官連合」とがあらゆる政策で対立し、あたかも今日のアメリカ合衆国を視るごとく、国家分断の有様ですが、結局当時の政体首脳が、基本的に反植民主義の全体主義国家ドイツとイタリアと三国同盟を組むに至るのは、「軍官連合」が優位に立ったからと観て間違いはありません。
話を戻すと、帝国陸軍の戦略中枢となった石原莞爾は、戦略の根本を①コミンテルン・ソ連の南下を防ぐための緩衝地帯(国家)の設置と強化、および②東南アジア植民地の解放と独立、と定めますが、これを実行するに日独伊三国同盟のごときは必要としなかったのです。
そもそも日米戦争じたいを尚早とする石原莞爾は、最終兵器が完成する三十年後を目指していたため、この際三国攻守同盟による軍事力強化のごときは必要でなく、むしろ多国間戦争に巻き込まれる危険性しかないと考えていたのです。
満洲事変はソ連の南下を防ぐための緩衝地帯として日本が必要とする満洲がソ連の勢力下に置かれぬために強行したもので、絶対に間違ってはいないが、自分の失敗は「あの奔馬のような松岡を見逃したこと」と、石原莞爾は早くから周蔵に述懐しています。これが単なる述懐でなく、「予想として」的中したことを、我々は何といえば良いのでしょうか?
ともかくグローバル主義の本家で且つ同盟国のイギリスのために対独戦争が必要となったアメリカが、真珠湾攻撃を好機として日本と戦端を開くことができ、日本と攻守同盟中のドイツに参戦する口実を得たのです。
ここに始まった独米戦は、以後急速に展開していきますが、米独開戦のための「出汁」として使われた日本は、早々に独自で対英米和平を進めるべきだったのです。
ところが、多数の人命の喪失を伴い大量の物量を消耗する戦争は「慣性」が大きく、動き始めた巨艦と同じで急停止はできません。その後の事は、ここに書く必要もないでしょう。
「敗戦記」の執筆を機に、WWⅡにおける日本敗戦の真相を、自身の記憶と経験から探る周蔵は、「日独伊三国同盟の締結」と「真珠湾攻撃の敢行」こそグローバル市場主義勢力が仕組んだ日本敗戦に至る道標であったことを、「敗戦記」で明かしたのです。
「敗戦記」を続けます。「敗戦記」(承前)
この前提を基に事変を起こし、ソブェートロシアとの緩衝国家を作り、その上で日本支那の提携の国家を展いていこう、というのであった。
石原さんは一般的な帝国主義ではなく、平和的世界国家少なくとも、同一の民族によるアジア連合の(アジアだけでも)平和的世界国家を作ろうと思われたのである。その手段としての帝国主義なのである。
石原さんは、黙していては何の動きも怒らないから、それをどんどん言葉に出したのである。
父に対しては、「石原を総裁にするという道の動きを起こしてもらいたい」とハッキリと云われた。父は石原さんの思想に大いに賛成できたので、石原内閣実現の動きを起こすために、父なりに動いた。それは満州事変を起こした以上、急がなければならなかった。(引用終わり)
因みに右に挙がった事実を、落合はこれまで文献で見たことがなく、一切世間には漏れていないように思われます。
おそらく、これは新発見の史料です。
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