〔148〕井上準之助に愚策「旧平価解禁」を勧めたのは何者か?
〔148〕井上準之助に愚策中の愚策「旧平価解禁」を井上蔵相に勧めたのは何者か?
トーマス・W・ラモントの親方のJ・P・モルガン(1837~1913)は単なる金融業者ではなく、その金融力を用いて当時勃興中の海運・鉄道・鉄鋼・電力ら重厚長大産業の統合を実現したことで、世界史において特記さるべき人物です。
金融界で頭角を現したラモントは、ファースト・ナショナル銀行の副頭取に昇り、大物財界人が集うジキル島倶楽部でモルガンらとともに「連邦準備制度」の草案を創ったことは前述しました。
JPモルガンが大正二(1913)年に急逝したあと、モルガン商会を相続したのは四十六歳のジャック・モルガンで、父と比べて人物としては二流と観られたものの柔和で愛想よく、父ほどのカリスマ性がないことを自覚していたため側近たちに権限を移譲しました。
二代目のジャックを補佐してモルガン商会をさらに発展させた側近の一人がラモントですが、近年の経済産業関係の史料がラモントをあまり重視していない理由が落合には判りません。
昭和五十年代半ばから落合事務所を頻繁に訪れることとなった水谷民彦さんが紹介してくれたのが歴史評論家の馬野周二先生で、水谷さんと馬野先生と落合は「ガガアル研究会」を作って、ユダヤ研究に勤しみました。
本来はアメリカを潜在的に支配するグループ、今日のいわゆる「DS」すなわちデイープ・ステートを研究することから始めたのですが、勢い話が大本教の出口王仁三郎に及んだ時、馬野先生が、「大本教の出していた『神霊界』で出口が謂う【ガガアル】というのはなんだろね?」と言われました。
その時落合は咄嗟に次のように謂いました。
学生時代に見た映画『十戒』の中で、シナイ山中で姿を見せぬ神さんがモーゼに「アイ・アム」を繰り返し、「アイアム・ゴッド。ザイ・ゴッド」と云うたのを覚えておるが、あれが「我は在る、我は在る」で、和訳して「我ガアル」と云うことではないか? ともかく大本教が「ガガアル」と呼ぶのは一神教徒の蔑称のように思う。
馬野さんは膝を打ちましたが、何も言いません。翌日になって三人が集まった時、水谷さんが謂いました。「昨日早速ビデオを買って観たが、神さんはあの時モーゼに「アイアム・ザット・アイアム」つまり「我は我として在り」というているよ。映画のスーパーインポーズは「ザット」を聴き取れなかったのかねえ」と教えてくれました。
それからわれわれは、「いわゆるユダヤ」のことを隠語で「ガガアル」と呼ぶようになりましたが、その後「ユダヤ:に関する認識が深まるにつけ、
我々の謂う「ガガアル」が、いわゆる「ユダヤ人」を意味するものではないことを認識しました。
ユダヤ人は定義によって様々ですから、これを本格的に論じるのであれば、「単なるユダヤ」でなく、もっと具体的で正確な用語をⅯちいなければならないのです。
一例をあげますと、当時水谷さんは「オランダ人はみなユダヤだよ。そんのなこと外人は皆知っとるが、言わんだけだよ」と言っていました。これにわたしが頭を悩ましたのは、昭和三十六(1961)年にパリで行われた第三回柔道世界選手権大会で。わが神永五段を袈裟固めで破ったアントン・ヘーシングがわたしの考えるユダヤ人の概念と大きく異なることです。
ではヘーシングの人種は何か。拙著(落合莞爾)の読者ならご存じのように、彼は「タカス族」の一員なのです。
オランダは低湿地のネーデルランドを指したもので、「レコンキスタ」によりイベリア半島の主権を回復したカソリック勢力と混住していたいたタカス族が、スペインの王権により「異教徒」として追放された場所がネーデルラントなのです。これ以上は拙著落合吉薗シリーズ第六巻『活躍する國體参謀』の第三部に詳述したので、それを御覧ください。(紀州文化振興会のブログから注文できます)。
いわゆる「DS」のことは「ワンワールド・バンカー」すなわち「国際金融連合」と呼ぶのは、フランクリン・ルーズベルトの女婿であったドール大佐がその著『操られた大統領』において、「義父を操っていたのは【ワンワールド・バンカー】である」と断言しているからです。
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