〔その10〕国運の消長を命理学で論ず
〔その10〕推命学により国運の消長を論ず
五行思想の特長は、木火土金水の五気(五元素)が、それぞれ独立したものでなく、木(植物)は火(熱エネルギー)を生じ、火は土(灰)を生じ、土は金(ミネラル)を生じ、金は水を生じ、水は木を生じることで、互いに生み生まれる関係にあるという五行相生論を明確にしたことです。
のみならず、木は土を剋し(耕し)、土は水を剋し(堰き止め)、水は火を剋し(鎮火し)、火は金を剋し(溶解し)、金は木を剋す(伐採す)という五行相剋論と五行相生論が表裏一対を為す五行思想は、哲学的に一層深い境地に到達したのです。
この五行と陰陽が組み合わされて陰陽五行すなわち十干をなし、さらに十二支と併合して六十干支となり、陰陽五行十二支の関係を論じる干支術として完成したのです。
武田考元説によれば、命理の学たる四柱推命の基本たるべき公理は、「太陽と地球の相関関係」の中における「個人の対応」で、その人の生誕時やその後の人生の特定時期における太陽と地球の相関関係を表わすために考案されたものが十干十二支です。
太陽は一つでなく十個の太陽(すなわち「天干」)が毎日交代するとの考えから十干の循環を以て年および日の経過を数え、また太陽の赤道を十二に区分した「十二支」を以て一年内の月および一日内の時刻の経過を数えたのです。
特定個人の命運は生誕の年月日時における「太陽と地球の相関関係」により決定しますが、これを簡略的に現わす四柱の命式を基にその人の一生を見通すのが四柱推命学で、つまり本来は個人用のものです。
ところが白頭狸が今から説かんとする「国運の消長」は、対象が国家社会で、その生誕の年月日時を明らかにできないのが普通ですから、ほんらい四柱推命の対象にはなりません。
にもかかわらず白頭狸がわが日本国の命運の消長を観察せんと志すのは、人間の集合体である国家も、個人と同じく「太陽と地球の相関関係」の中における対応があり、その命運が定まっている筈との見解に立つからです。
個人の集合体たる国家の命理を考えんとすれば、たちまち遭遇するのが、その誕生の時期を如何に見るべきか、という大問題です。個人のような自然体でない国家の誕生時期を定めることは、憲法的あるいは国際法的にはできますが、所詮便宜的なもので、あながち正しいとは限りません。
国家社会の歴史は、その社会を根本的に揺るがす大事件により、結果的に
時代区分されますから、結局、その社会を変革するきっかけとなった大事件を目安に区分した歴史サイクルをもって、その国家社会の命運の消長を論じるしかありません。
というと「そんなことなら四柱推命に何の関係もないではないか」との指摘を受けて当然ですが、それでも白頭狸が四柱推命に拘るのは、国家社会にも「旺相死囚休」がある、と思うからにほかなりません。
四柱推命で最も理解が困難とされるのが、天干の「旺相死囚休」と地支の「生旺墓絶」(十二運)でありまして、俗流の命理学は極力これを避けんとしており、真面目な研究者の批判を受けております。
白頭狸は浅学菲才を顧みず、今からこれを相手に一戦を試みますので、諸兄姉はどうか観戦していただきたくお願い申し上げます。