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〔245〕國體特区の構造を論じ併せて穴の済に及ぶ)1/4 前半に重要加筆あり、請う再読
〔245〕國體特区の構造
〔244〕では室町時代から永世親王伏見殿に仕えてきた國體特区の「備後国沼隈郡の鞆の浦」、および明治維新後に閑院宮系京都皇統の隠し子松下豊子の國體特区となった「紀州海部郡の加太浦」の構造的相似性について述べました。
鞆の浦は「漁村及商業地」の鞆町と「後背地の農村」後路(ウシロジ)に分かれており、少し(20キロほど)北には山陽道の「神辺の宿」と「神辺本陣」があり、近くの「安那郡箱田村」の庄屋細川家で生まれた箱田圓兵衛の次男が榎本武揚です。
箱田村庄屋の細川家は伊能忠敬の第七次測量隊の拠点となった家で、その墓所にある細川家代々の墓石には伏見宮家の「十四葉裏菊」が刻まれていますが、これこそ細川家が國體奉公衆であったしるしなのです。
そもそも安那郡は、往古「アナ」と呼ばれただので「穴」と書かれたのですが、平安時代に「安那」の字を当てたばかりか音を「ヤスナ」と変えたことで、この地の歴史が埋没してしまったのです。
これについてnoteに「拾得ブログ∞歴史の「岩戸開き」みんな一人の「神様」だった」を投稿しておられる拾得居士が平成五年五月30日の投稿で、北海道瀬棚郡利別村河島家のルーツを辿る(6)として下記のように語っておられます。
前回note記事において、河島という姓はもとは「髙嶋(コウシマ)」であったことをご紹介したところ、白頭狸先生こと南光院長臈爾應法師様より、コメント欄において「渡党を調べて見られよ。アナの渡り」との貴重な御示唆を賜りました。
「渡党」と言えば、白頭狸先生著『三種の蝦夷の正体と源平藤橘の真実』において記述されている三種の蝦夷「ヒノモト」「カラコ」「ワタリ」のうちの「ワタリ」のことであり、播磨周辺のワタリと言えば「吉備の穴済(アナのワタリ)」のことに相違ありません。
そこで「吉備の穴海」の場所を確認しようとネットで検索したところ以下の地図がヒットしました。(地図省略・引用終り)
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というわけで、拾得居士が瀬戸内海の古代地図を検索したところ、この一帯がかつて「穴の海」という浅海で、これを干拓して安那郡ができたことが判り、その「穴の海」の東端にあった孤島に祀られていた「高嶋【コウシマ】明神」こそ河島姓の起りと判明した由です。
拾得居士の姓の「河島」が「高嶋明神」に由来することが判ったのは落合としても欣快です。なぜなら、拾得居士がこれを知ったことにより先祖代々が経験した「意識と記憶」の集合たる「クラウド」に「アクセス」するための「パスワード」を取得した、と落合は考えるからです。
落合の謂いたいのは、我々個体が一生のうちに経験した「意識」とその「記憶」は染色体によって次代の個体に伝わるものではなく「クラウド」となって「空」に漂っているもので、各代の個体は適切な波長(パスワード)を知れば、先祖代々の経験した「意識」とその「記憶」を「クラウド」から取り出すことが出来る、という事です。
そして先祖が経験した「意識」とその「記憶」の全部を伝えるだけの物理的質量がない染色体は、ただこの「パスワード」を次代に伝えることであって、これが相続されるることで先祖代々の記憶が当代に、さらに当代から末代に伝えられていく。
これが落合の立てた「染色体=パスワード理論」で、noteの〔230」で書き始めたところ、折から岡崎祐一氏が己の無知を恥じない輩から「華頂宮詐称者」として誹謗を受ける惨事を耳にしたので一時停止して、調査の対象をその方面に転じたのですが、拾得居士の右の投稿を思いでしてので、茲に紹介しましたが、華頂問題の調査が続くうちは、詳しく論じるいとまがないため、「パスワード理論」はここまでにして、以下もう少し拾得居士の投稿をお借りします。
「ヒノモト」「カラコ」「ワタリ」の淵源は少なくとも「欠史八代」にまで遡る必要があり、さらに言えば日本建国以前にまで遡る必要のある日本の古代史を知る上で重要なキーワードとなっております。
なお「欠史八代」とは第2代綏靖天皇から第9代開花天皇までの8代の天皇を指す歴史用語で、ウィキペディアの該当ページの冒頭には「初期の天皇の系譜はその多くが後世の創作によるものと見られ、欠史八代の天皇が実在した可能性は学術的にはほぼ無いとされる」と記されており、もしもこれが歴史学における公式の見解であるとすれば、唖然とする他ありませんが、「欠史八代」が実在の皇統であることは、すでに白頭狸先生の洞察史観・國體史観において明らかとされているところです。ただし日本列島内には常在されておられなかったという意味で「欠史」と言えば欠史となります。
今回、白頭狸先生こと南光院長臈爾應法師様より「渡党」の御示唆を賜った時に痛感したことは、自分自身が日本の古代史を考える時に、ほとんど無意識的に日本列島内部だけに限定して日本の歴史や地理を考えてしまっており、そのような発想では古代史における日本の実情を大きく見誤ることになることをあらためて気づかされました。
さらには戦後史学界を席巻した「渡来史観」や「半島史観」の影響も知らぬうちに受けていたことにも気づかされました。
白頭狸先生の國體史観における日本の國體経略の二本柱と言えば「満鮮経略」と「南島経略」にありますが、それは同時に日本の勢力圏が日本列島内に限定されずに満鮮方面と南島方面にまで及んでいたことを示しています。
そして、それは古代のみならず現代においても不変であり、万古以来、日本の國體経略は「満鮮経略」と「南島経略」であるということになります。
(引用終り)
河島拾得居士の右の言たるや、「まさに朋有り、遠方より来る」の感があります。これおそらくは拾得居士と白頭狸の先祖が何代か前に交差しており同じ遺伝記憶を共有しているから、と落合は観ております。
國體秘事伝授を受けるうちにいくらかの「パスワード」を取得した落合は先祖の記憶にアクセスすることが可能となり、これが「洞察力の根源」となっているわけですが、拾得居士が今回のルーツ解明により「パスワード」を取得されたのはまさに欣快というほかありません。
國體秘事伝授を受けるうちにいくらかの「パスワード」を取得した落合は先祖の記憶にアクセスすることが可能となり、これが洞察力の根源となっているわけですが、拾得居士が今回のルーツ解明により「パスワード」を取得されたのはまさに欣快というほかありません。
ついでに言えば今回の「伏見宮=華頂宮」の問題にしても「満鮮経略」を知らぬ輩には到底理解が及ばぬことです。彼らがの岡崎祐一氏を詐欺師呼ばわりして嘲笑する様を、故人ならば「猿が仏を嗤う」と形容するでしょう。
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