〔236〕華頂博一こと岡崎祐一氏の真相を論じ、併せてアナスタシア姫の本邦渡来に及ぶ(3)
〔236〕〔華頂博一こと岡崎祐一氏の真相を論じ、併せてアナスタシア姫の本邦渡来に及ぶ(3)
〔235〕で岡崎祐一氏の戸籍上の祖父岡崎秀夫が華頂博信侯爵(初名伏見宮博信王)と同一人物との考証に着手した落合は、久しぶりに気力が充実してきたことを自覚しました。
昨日の朝はこのnoteのビューの回数が一週間で6666回に及び、まさに「ミロク下生」を超えて「四六の蝦蟇」が誕生したからです。
岡崎祐一氏の父岡崎博祐氏についても、現在考証していますが、結果は後程発表することとします。
考証のために伏見宮博恭王の業績と周辺事項を調べていくと、これまで元帥海軍大将軍令部総長として昭和初期の帝国海軍に君臨した軍人としか認識していなかった落合は、わが身の浅学を身に染みて実感することになりました。
博恭王は、日本皇統とハプスブルク大公とが二本柱となって構成する「國體天皇府」の最上層を成す偉人として、その業績は帝国海軍に止まらず、昭和大帝の裏側で、世界の裏政治に大きく関わっていたことが十二分に察せられるからです。
世界的な人材であった伏見宮博恭王の、日本の歴史教科書における扱いは、海軍軍縮条約で艦隊派の中心として艦隊充実の必要を強弁した「悪役」として一語だけ登場するだけです。
これは今後歴史学の何とかせねばなりませんが、このnoteの目的は岡崎祐一氏に掛けられた濡れ衣を乾かすことにありますから、博恭王の歴史的評価はここでは割愛し、以下で岡崎秀夫=華頂博信説の考証を進めることとします。
岡崎秀夫=華頂博信について、〔234〕では出生地と出生・育児環境について述べましたが、これだけでは充分に証明したことになりませんから、続いて両家の家族環境を対照していきます。
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