〔104〕華頂チャンネルと國體史観との照合(2)8/15
〔104〕華頂チャンネルと落合流國體史観との照合(2)
前項〔103〕で、④と⑤を飛ばして⑥へ行ったのは、④と⑤がテーマとしてかなり重かったからですが、さすがに放置しておくことならず、ここでまず④から述べることとします。
④宮中に古くから伝わる秘文書を見せられ、伏見宮家のことを知った。
伏見宮は長い歴史の中で地球を二周している。二回目は600年前で、西欧でルネサンスを起す目的で伏見宮治仁王が欧州へ戻り、跡継ぎが絶えた伯爵家に入ってハプスブルグ大公家としたが、末裔は今も「エブリンテスコ(?)」という地に存在する。
2019年10月17日、先帝に喚ばれてただ一人で参内した華頂博一さんは、先帝から伏見宮家に関する史実を教わり、家門の自覚を促されたそうです。
幼いころに祖父博信さんからポツポツと聞いていた博一さんですから、先帝のお言葉が理解できたのは当然です。博一さんの学童時代の記憶では、博信さんはずっと日記か何かの文書を書いていましたが、宮中に呼ばれた博一さんが見せられた文書の中には、博信が書いていた文書はもとより曽祖父博恭王の文書も在った、と落合は推察いたします。
宮殿下をはじめ國體要人や重要な任務についた國體奉公衆が日誌や手記を書いていたのは、単に個人のみならず、國體利益に寄与する情報を遺すのが目的です。これは二十五年にわたり「吉薗周蔵手記」の解読に携わってきた落合が覚ったことです。
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