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〔81〕稽古39 明仁上皇のご命式と日本国運の今後 6/16に再加筆につき必読を請う

〔81〕命理学稽古39 上皇陛下のご命式と審察
 日本国の国家的命運を論じたことかから本来の路線をやや外れていた白頭狸の命理学稽古は、前回〔79〕の稽古38から本来の命理学稽古に復帰いたしました。
 ちなみに白頭狸の命理学は故武田考元師が建てられた科学的な理論で、ギリシャで盛んになった四大思想と、太古以来の陰陽二元論が結びついた陰陽五行思想にあります。
 もともと易学を研究していた白頭狸が、昭和40年代に四柱推命を初めて学んだ頃に教材とした歌丸光四郎の著書は「個人の運命に大きな影響を与えるデーモン(鬼神)」として「天徳貴人」初め諸々の「貴人」を強調していました。
 この事から「四柱推命も所詮スピリチュアルの一種か」と思い、もとの易学に戻った白頭狸は、その後たまたま接した武田孝元師の著書を観て、その論理性に大いに感服したのです。
 天体の運行と陰陽五気の性情の相互関係を論理的に整序した武田流命理学が非論理的なオカルト系やスピリチャル系を排除するのは当然で、「神殺」や「貴人」を無視するようにと強く主張されます。
 これ以来武田流を服膺することとなった白頭狸は、平成初年にたまたま遭遇した國體奉公衆との交流の中で、かれらがしばしば四柱推命に言及することを知り、その際になぜか「神殺」を援用していることを耳にして一驚しました。

 近来、四柱推命学の研究に再び入った白頭狸の洞察では、國體奉公衆の命理学は武田孝元師が論理的に構築した武田流四柱推命学ではなく、古代から日本で用いてきた陰陽道や占星術の系譜に属するもののようです。
 ともあれ武田孝元師は、『四柱推命学詳義巻三』の366頁で、明仁皇太子(現上皇陛下)の御命式を掲げたうえで、「神殺」について下記のように記しています。「別に、天皇陛下、皇太子、帝王とて、特別の命があるわけではございませんが、先へ進んでいきますと無財の命で、丙火調候急を要するに、丙火ございませんが、亥卯木局半会し元神甲乙透露、水源地支酉にあって、戊己土の制・濁なく水木清奇。金生水の順をなしています。何例挙げましても同じことですので、神殺頼るべからず、の意は十分尽きていることと存じます」。
 武田孝元師は、非科学的な神秘論として神殺を否定され、その実例として上皇陛下の命式と神殺を挙げただけでこれ以上を述べておられませんが、白頭狸はこれを機に上皇明仁陛下のご命式を拝見し、御命運を拝察して見たいと存じます。
 
  明仁上皇陛下のご命式
 
 年 癸 酉        白衣 桃花  
 月 甲 子        空亡 干禄
 日 癸 亥  卯と木局  十悪大敗 陰錯 陽差 断橋 将軍 深水
 時 乙 卯  亥と半会
 
 生時   昭和八年12月23日午前6時(5~7時を概定)
     経時差 +19分  近時差 0 真正標準時 概定 午前6時
     前節入り    12月7日 午後10時12分(概定10時)
       差     15日20時間­=15日10刻
  ÷3            5日と(3+1/3)刻 
 これは五年と3・3カ月に当ります。すなわち明仁上皇陛下の立運は五歳と三カ月で、具体的には昭和十四年三月ころと拝察されます。
 
 生月元命 甲子 逆五年運 立運七歳
 第一運  癸亥 昭和十四(1939)年三月    七(満5)歳
  これより西方金運
 第二運  壬戌 昭和二十四(1949)年三月  十七(満15)歳
 第三運  辛酉 昭和三十四(1959)年三月 二十七(満25)歳
 第四運  庚申 昭和四十四(1969)年三月 三十七(満35)歳
  これより南方火運
 第五運  己未 昭和五十四(1979)三月  四十七(満45)歳
 第六運  戊午 平成元年(1989)年三月  五十七(満55)歳
  第七運  丁巳 平成十一(1999)年三月  六十七(満65)歳

  これより土運
 第八運  丙辰 平成二十一(2009)年三月 七十七(満75)歳
 第九運  乙卯 平成三十一(2019)年三月 八十七(満85)歳
 第十運  甲寅 令和十一(2029)年三月  九十七(満95)歳
 大運の運航は右のごときものです。
 
 

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