見出し画像

WWⅡ前後の日米通貨 10/5

 〔65〕WWⅡ前後の日米通貨
 前項で筆勢のままに「天之逆手」を持ち出した。この言葉を初めて聞く読者もインターネットで検索すればおおよそ理解できると思うが、一応説明しておきたい。
 天孫降臨の際に国土献上を促しに来た天孫の使者天鳥船に対する対応を、父の大国主から問われて献上を勧めたた八重事代主が、自らは「天の逆手」を打ち船端を踏み倒して青海原を青柴垣に変え、その中に消えた、との「古事記」の一章に拠るものである。
 この「天の逆手」に関して古来多くの解釈がなされているが、ここでは割愛する。私見では前後の経緯と語感からして一種の呪術的行動すなわち「不本意を隠した感情の表現行為」と思われる。
 ともかく、日本民族がわが経済を犠牲にして隣国支那の経済を支援育成する事業が「日本経済の支那シフト」なのであって、昭和平成の交に蔵相から首相になった竹下登が密かに計画して平成初年に実行に移したのである。
 竹下本人は昭和六十三(一九八八)年に発覚したリクルート事件で首相を辞任するが、辞任後も後継内閣の成立に関わり、宇野・海部・宮沢の歴代内閣を操って「支那シフト」を推進させた。宰相を辞しても衰えなかったその政治力は、前人が出来なかった「消費税の導入」の実行に感じた大蔵官僚の支持に負うところが大きいと言われている。
 今は財務省と金融庁に分かれた大蔵省が、戦後日本を間接支配する在米トロツキストの代理統治機関であったことは、近来ようやく知られることとなった。歴代の政体に「消費税の導入」を要求してきた大蔵省が、これを導入を成就した竹下登を最大の恩人として称賛したのは、在米トロツキストに支配された国際金融連合から与えられた課題が達成できたからである。 
 尤も大蔵省が竹下登に負うものは消費税だけではない。竹下は大蔵省を民間経済と結びつけた。従来機械的に収税するだけが能で、民情について全く無知であった大蔵省が民間経済の実態を知る道を開いたのは、竹下登の指導によるものと聞くが、詳細はまだも知らない。
 ともかく昭和六十(一九八五)年の「プラザ合意」の実行者として国際金融連合から選ばれた竹下登は、その後も一貫して世界経済における財政金融の調整役としての役割を果たすこととなった。国内では消費税の導入、ブラックマンデーの際の米国株式支援、株式先物取引所の創設、これらすべてがその道程であった。
 そもそも経済には実物経済と信用経済の両側面があるが、竹下登の担当したのは信用部門で、通貨・為替・物価の安定を図ることを眼目とする。通貨について謂えば、WWⅡの最終段階の一九四五(昭和二十)年に発効したブレトンウッズ体制は、金との兌換権を有する通貨を米ドルに限り、その平価を一オンス=三五ドルと定め、他国通貨は米ドルとの交換比率を固定することで間接的に金にリンクする「ドル本位制」であった(一オンス=三一・一グラム)。
 日本円は一ドル=三六〇円と定められ、一円に相当する金量が二・四七mgとなったが、これは明治三十年貨幣法の定めた法定平価の一円=〇・七五グラムの三〇〇分の一にも足らず、実に三〇〇分の一を上まわる切り下げとなった(旧一円を金に兌換した〇・七五グラムは新一円では三〇四円に当るから、三〇四分の一のデノミである)。

 世界唯一の基本通貨となった米ドルは、金本位制時代の平価は一オンス=二〇・六七米ドル((一ドル=一・五グラム)であったが、一九三四(昭和九)年に米政府が金の買い上げ価格を四割も切り下げ、一オンス=三五ドル(金〇・八九グラム=一ドル)と定めたのは世界恐慌がもたらしたデフレに対応したドル安政策である。この金平価がブレトンウッズ体制において採用され、金〇・八九グラム=一ドル=三六〇円の固定平価となった。

      金本位制定時A  ブレトンウッズ体制B   B÷A
 一米ドル   一・五グラム  〇・八九グラム    〇・五九三
一日本円   〇・七五グラム  二・四七mg    〇・〇〇三三

 金本位時代には一ドル=二円であったが、ブレトンウッズ体制では米ドルと日本円の切り下げ率の比(〇・五九三÷〇・〇〇三三)が一八〇倍とされたことで一ドル=三六〇円となったわけである。

 戦勝国米国と敗戦国日本では通貨価値の変動において一八〇倍もの差異が生じた。通貨価値の低下が敗戦国の方が甚だしいのは敗戦がもたらす必然で、最大の理由は敗戦国の工業生産力が甚だしく低下するためである。
 戦時経済に特有の現象として、勝敗に関わらずインフレが昂進するのが常であるが、戦勝国米国の通貨がWWⅡの前後で下落しなかったのは例外で、理由は大恐慌の後遺症でデフレ状態の米国経済にWWⅡの軍需が殺到して需給の均衡をもたらしたからである。
 ケインズ理論にしたがってTVAなどの大規模公共工事を実施しても達成できなかった米国経済の需給を均衡させたのはWWⅡの軍需であった。米国社会が最も輝いた“黄金の五〇年代”は日独との戦争の結果として出現したわけで、今日ウクライナに莫大な軍事支援しているバイデン政権の意図が透けて見える所以である。



いいなと思ったら応援しよう!

白頭狸
いただいたサポートはクリエイター活動の励みになります。