霊操に侵された日本 改訂必読 11/2
〔79〕霊操に囚われた戦後日本
前項の文末を多少修正して以下に再掲する。
円安は日本国民の労働を不当に安売りしたのと同じことで、日本国民が労働対価として得た日本円が、米ドルと交換するとき安く踏まれることになるが、労働対価だけでなく日本人が所有する土地・株式など資産価格も米ドルでは割安になり、結局日本全体が買い叩かれるわけである。
戦後日本の経済成長は著しかったが、国民が働けど働けど豊かさを実感できなかったのは、フローの賃金はアップされたものの、社会資本の充実や住宅政策などストック経済が後回しとなったことで、日本の都市環境や住宅設備が長い間欧米各国に比べて浅ましい姿をさらしてきたからである。
白頭狸が経済企画庁部員を命じられて「経済白書」の作製に携わった昭和40年代の前半は高度成長の真っただ中であった。当時、国民経済計算の指標とした名目GNP(国民総生産)は定住外国人を含む日本国民の海外生産物を勘定に入れていたが、その後に邦人の海外進出が盛んになってきたことから、GDP(国内総生産)に置き換えられた。
最近さらにGNI(国内総所得)に置き換えられたが、測定方法が異なるだけで、国民所得の三面等価の法則で国内総生産=国内総所得となるため、数値じたいはGDPと変わらない(とされる)。
ともかく8%→10%→12%と毎年2%ずつ高まっているGNPの成長率に狂騒する周囲を見渡した狸は、これは経済のフローが増えているだけであって、国民の幸福は究極的にはフローよりもむしろストックによってもたらされる筈だ、と感じたのである。
勿論、ストックはフローから生れるものではあるが、フローの増加がストックを犠牲にしてもたらされる場合も少なくない。タコがわが手脚を喰うとき消費支出(フロー)は増加するが資産(ストック)が減少する。貧乏旗本の貧困家庭で育った勝海舟は、住家の壁板を剥がし燃やして暖を取った、と語っているが、寒風が以前に増して吹き込むから一刻の暖は数月の寒の原因をなすのである。
WWⅡが終り米軍機による爆撃の焼け跡からスタートした日本経済は、当初はフロー経済の拡大しか念頭になかった。昭和三十年度の『経済白書』が「もはや戦後ではない」と述べたのは、総生産が戦前の最高基準を超えたことを謳っただけで、ストックを論じるような状態ではなかった。
それから十余年を閲し未曽有の経済成長が頂点に達した今は、将来のあるべき社会的ストックを構想しながら経済計画を建てるべきではないか。
狸(当時は黒頭)は随所でこれを主張したかったがいかんせんその場がない。所詮は遠吠えに過ぎなかったが、そのような非力の狸を上から見ている勢力(國體勢力)がいて狸の抜擢を試みたそうで、野村証券という舞台を与えられたが、その任務を自覺しえず僅か六年で野村を去った狸は、以後自らストック経済を実践して一応の成功をみたものの、バブル崩壊が日本のストック経済を灰燼に帰すとともに、狸のストックも雲散霧消した。
己がかつて國體任務の担い手と目されていたことを、狸が初めて知ったのは、実に四半世紀後である。平成四年に宮沢喜一首相の意を受けたといわれる人物の接近があった。具体的には前参院議員浅野勝人氏と、その紹介による前自民党総務会長水野清氏の両人で、奇しくも元NHKの職員である。
麻布十番の落合事務所へ来訪された浅野氏は、その場で電話により水野氏を呼び出されたが、水野氏とは挨拶を交わしただけでそのままとなった。
時を同じくして荒井三ノ進という人がやってきた。当時フィクサーとして知られていた人物で中曽根康弘の使いを称し、「自分は中曽根を手伝っているが本当の親分は田中角栄」と言うものの結局要領を得ずに帰ったが、この人物も宮澤さんと白頭狸を繋ごうとしていたように想う。
米ソ冷戦の終結を数百年に一度の歴史的変動と捉えた宮沢さんは、「プラザ合意」を高度成長の終焉と認識しており、バブル景気の果実を国民のストック充実に使用すべし、との主旨で「資産倍増論」を提言されていた。
日本の今後のあるべき姿を「生活大国」と規定した宮沢さんが「英訳すれば、“ライフサイクル・スーパーパワー”かいな」と嗤われたのは、国民全体の資産が音を立てて崩れる、まさにその最中だったからである。
地価や株価等の資産価格の大幅な下落を、従来の景気後退とは全く異なる現象とみた宮沢さんが提言したのが、日銀の特別融資すなわち公的資金の投入による不良債権の早期処理であった。
これは大蔵省の反対で実現しなかったと聞くが、右に列挙した宮沢さんの認識はいずれも極めて正確で、提言も正当というしかなく、平成この方この面で宮沢さんに及ぶ政治家は他にいないと思う。
妻を亡くしたまま天命を知る齢に達した狸は独り身なるを幸い、宮沢さんのもとに参じ、その主旨を体して平成大暴落の跡片付けに奔走するのも亦宜しきかと思ったが、一つだけ心底に引っかかるものがあった。
それは、来歴からして親米意識が過ぎたのか、自虐史観に嵌った宮沢さんが、反日工作員吉田清治が捏造し朝日新聞が広めた朝鮮人慰安婦説を、安易に容認して外交に利用し、邦家邦人に深甚な恥辱を与えたことである。
これを遺憾に思う狸は、宮沢さんに呼ばれたらまずその旨を告げて反応を見てからと思っていたが、結局招聘は話だけで終り(その結果とは云わないが)平成大暴落は回復しないうちに平成大停滞に転じ、そのまま今日に至るのである。
時に平成四(一九九二)年、日本経済はすでに「平成大停滞」に入りデフレギャップが日本列島を覆っていた。この時に政権を握った宮澤さんが一大勇猛心を発揮し、三重野日銀総裁と組んで日銀特融に踏み切り不良債権の処理を完遂しておれば、「平成大停滞」に陥らずに済んだと思うのは、白頭狸だけではあるまい。
物ごとには必ず因果関係がある。日本国民が宮沢喜一を推戴しなかった原因について論評が多いが正鵠を得たものはない。狸が思うのは、宮沢さんが米主日従体制の修正を断行する覚悟を欠くことが滲み出し、それを国民が漠然と感じたからである。要するに宰相としての断固たる決意が見えなかったのである。
国民は国民で、東西冷戦の中の経済的繁栄のもとに国を挙げて重度の対米依存症に陥り、「このままではダメだ」と思いながらも、結局WWⅡの敗戦構造を脱しきれなかったのが戦後日本である。つまり戦後日本は、国民のあらゆる層において伝統的精神を完全に破壊されたまま、それから脱皮しようとしない。その国民の内心に蟠る葛藤が、宮沢さんを推戴して「平成維新」を断行する途を採らなかったのである。
国民や地方政治家はおろか、マスメデイアや与野党政治家さえ、このことを自覚していないことからして、霊操すなわち洗脳の恐ろしさは思い半ばに過ぎるものがある。