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〔217〕皇道大本と道院紅卍字会の関係および創価教育学会の発祥 加筆訂正したので請再読
〔217〕皇道大本と道院紅卍会の関係及び創価教育学会
〔216〕では、「道院紅卍字会」が関東大地震の見舞い品を届けるために日本に派遣した使節の一人が綾部の大本本部を訪れて王仁三郎と会見したところ意見が一致して意見が一致して、「両教提携の約」が即刻成ったことを述べました。
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大正五、六年(1916~7)年ころに中華民国山東省濱県(現浜州市)で始まった宗教団体「道院」は、その付属施設の慈善団体「世界紅卍字会」が大正十(1921)年に民国政府の認可を受けて正式に発足します。
開祖が地方の紳士階級たちで、当初は巨万の財源を有していた筈もない新興宗教の「道院」が、開教の数年後に発生した関東大震災に際し、金一万元と米二千石という莫大な金品を義援してきます。
日本の震災に対する紅卍字会の義援は関東大震災(1924)に限らず、その後の「北丹後地震」(1927)、「三陸地震」(1932)でも行われ、震災以外でも昭和九(1934)年の「函館火災」及び翌年の「関西風水害」に際しても大枚の義援金が寄せられました。
先述したように「道院」の開教は大正五、六(1916~7)年ころで、正式認可は大正十(1921)年です。
「道院」と 時を同じくして大正五年に開教した大本教では、大正十年に教祖出口王仁三郎が不敬罪等の嫌疑で入獄する「第一次大本事件」が起こります。この嫌疑は大正天皇の崩御に伴う大赦令によって昭和二(1928)年に免訴となり、大本では新たな運動が始まりますが、これに伴い大本本部に設立されたのが「昭和青年会」です。設立日は未詳ですが、昭和九(1934)年の「昭和神聖会」の設立に繋がるものと落合は考えています。
大正初年は世界史上の重大事件が累発した多端な時期で、WWⅠの勃発を契機としてロシア革命・ドイツ革命・オーストリアの帝政崩壊など各地で体制転覆が続出しますが、新生中華民国でも孫文革命党と袁世凱の北洋軍閥の政権争奪が発生し、孫文の懇請を受けた大隈内閣が民国大統領袁世凱に突き付けた「対華価21箇条の要求」に反発した学生らによる抗日運動の「五・四運動」など民国で発生し、日華関係は急速に悪化します。
日本で発生した大災害に対し多大な義援を始めた「道院紅卍字会」に対し、日華関係も将来を憂うる一般日本国民の関心と好感が高まります。
「道院紅卍字会」から大本教への接近が始まったのはまさにこの時期ですが、最初の関東大震災に対する義援は、たといこの大震災が発生しなくても行われていた筈、と落合は考えます。
それは、これらの義援が単なる災害見舞でなく、「紅卍字会」と「大本教」との「提携・合同」を進めるための環境造りの意味があった、と思うからです。つまり「予定の行為」だったと思うのです。
冒頭に挙げた諸々の史実を眺めて落合が勝手に思うのは、大正五(1916)年の「道院開教」が決して偶然でなく、「國體天皇府」が関係する「特異な事情」によることです。
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