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〔216〕皇道大本と道院紅卍字会の提携 9/15大幅に加筆しましたので是非ご再読ください。

〔216〕皇道大本と道院紅卍字会の提携
  〔215〕ではそれまで「大本教」を布教していた出口王仁三郎とナヲが、大正五(1916)年に「大本教」を改称して「皇道大本」とした所以を述べ、これが時を同じくして中華民国山東省に「道院紅卍会」が興ったことと密接に関係している、との落合の洞察について述べました。
   因みに落合は「道院」にいささか関係があります。
 最初は昭和五十二(1977)年のことで、当時野村證券事業法人部業務企画課長の落合が「赤井電機」創業者の女婿林溥氏の依頼を受けて同社の経営権騒動に加担した時、林溥氏に横浜中華街にあった「道院支部」への参拝を勧められたのですが、その時は「無生老祖」の名と「他言無用の口訣」を教わり、素食(支那風精進料理)を頂いただけで終わりました。

  二度目は、バブル崩壊により紀州に落ちてきた時で、桐蔭高校の学友で電気工事業を営んでいる峰宏君が紹介してくれた台湾人の林喜美さんが、落合が住む【狸庵】を紅卍会に貸してくれないか?」と打診してきた時です。
 林さん云うに「紅卍会の支部が神戸に在って祭壇と燈明がある。現状では紀州在住の信者が一々神戸にお参りせねばならないのは、お参りが燈明からから百歩以内と決まっているからで、紀州に祭壇があれば神戸まで行かずとも良い。だから狸庵の奥座敷に祭壇を造らせてほしい」ということです。

賽銭と供物はすべて貰えるという事なので、浪々の身にはありがたいと思いましたが、何せ常夜燈明を灯さねばならないのは「火の用慎」上の問題があるので「沙汰止み」となりました。
   三度目は、日本の紅卍会の笹目秀和さんと多摩道院で遭った後、目白の椿山荘に招かれて、道院の継承を持ち掛けられたことです。
 野村證券で六年過ごした後も福山証券に籍を置いいた落合は証券界の動きに詳しく、当時「仕手筋」として有名だった加藤嵩さんが名乗る「誠備」が紅卍会の道名と聞いていたので、笹目英和さんの紅卍会とは違うと感じて、双方に対して疑問を抱きました。

   この疑問は、元イエーメン駐在大使の某氏(失名)から「日本に二つの紅卍会があり、一つは笹目氏、もう一つは笹川良一氏が創った」聞いて解消しましたが、笹目さんの道院継承の話はその前に自然に消えていました。
 「社団法人日本紅卍字会」の説明によれば、日本最初の道院「神戸道院」が発足したのは大正十三(1924)年で、綾部の大本本部における出口王仁三郎と「世界紅卍字会」済南分会長侯延爽の会談を契機に実現したようです。
 これに至る経緯は、前年の関東大震災の際、北京の世界紅卍字会中華総会が神命に従って白米と銀貨を東京震災復興局に贈った時、派遣した使節に「神戸に道院を新設する事」と「道道院紅卍字会と主義目的が似た団体を捜して提携する事」を命じたことに始まります。

 使節の侯素爽が南京領事林出憲次郎の紹介状を携えて綾部の大本本部を訪れたのは大正十三年十一月三日でしたが、翌日に会った王仁三郎はクリスチャンの侯素爽が抱いていた聖書に関する疑問点を明快に解決したばかりか、「貴殿の来訪は既に神界から知らされており、道院が万教同根を主旨とする大本と提携することは神の仕組み」と説いたので「僅か数時間にして大本と道院との提携が決定した」との事であります。
 この提携に際し、王仁三郎が「至聖先天老祖」を審神して「大国常立之大神=天之御中主之大神」と定めた結果「大本皇大神=至聖先天老祖」となったのであります。

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