中身のない人生。
以前、noteにて「スマホって言うほどやることなくね」「皆一体何をしてるん?」といったような内容の記事を見かけた。
その内容自体には強く共感を覚えた一方、自分の場合はスマホどころか人生全体に対して似た思いを抱いている。こういう人間って少ないんだろうな、もしかしたら他の人からすると珍種の生き物って感じで面白いかもな、と思いながらそのことについて今回は書いてみようと思う。
多分、自分は無キャっていう属性に入るのかもしれない。人付き合いが上手くやれた経験が少なく引きこもり気味、それでいてゲームとかアニメとかさえあまり見てこなかった。
高校受験をガチった時に「無駄な」娯楽は一切禁止して以来、その感覚が未だに抜けずゲームもSNSもやっていない。変なプライドばかり一丁前につけて、人に語れる熱い趣味というものがない。それで居場所というものも出来たことがない。
無論マトモに人付き合いもせず娯楽もせずとなると人生はあまりにも時間がありすぎる。
大抵、ネット上の意味のないまとめサイトや既に廃れた大喜利サイト、無料で読める質の低いマンガを流し読みしている人生である。
将棋やオセロを打つこともあるが、頭を使う気がないので常に弱いCPUとやっている。たまに負けてイライラしてやめる。
そんなんだから上達する筈もない。かつて棋道部に在籍していたにも関わらず、中1の従兄弟と対局すれば多分余裕で負けるレベル。
ネット徘徊する以外に意味不明の挙動にのめり込むときもある。
数ヶ月前にはコンパクトサイズの辞書をいきなり買って、面白いと思った単語に線を引き全て暗記しようとしたり(もちろん三日坊主)、通学路の途中に小さく周回できる道路を見つけてグルグルしたりした。
人間って、それ相応の理由があって趣味趣向や人格が形成されていくものだと思うのだけれど、自分の場合は本当にそんなものあったか?と思ったりする。神様がいたとして、自分は存在を認められていないと感じていた時期があったりもした。もちろん人付き合いも経験無いし社会に認められていると感じることもほぼない。
幼い頃からこういう、自分だけ道理の外側にいるという感覚を持ちながら生きてきた。
なんでこんな人間が出来上がっちゃうんだろうね、俺が一番不思議で仕方ない。
書いていく内自分という人間のヤバさが改めて浮き彫りになった、近い内に熱中できる何かを見つけたい、なんて言いたいところだけど
こういうのって焦ってもどうにもならないことを自分はよく知ってる。
ただ自己表現的な文章を書き終えた後は常に、書いたものから自由でありたいとは思う。そのとき何となくそう書きたかったからこういう表現になった。でもその内容は自分という人間を正しく捉えられているのかというのも疑問であって、自分自身を規定するものであってはならない。
直線状に分かりやすく表現されたものから緩やかに離陸し、それ以後、私は如何なるラベリングにも縛られない存在としてありたいとは自分について書くたび思う。
自意識マンによる供述は以上です。