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白本尊さまについて〜徳川家康の身代わりとなった仏さま〜
今回は徳川家康の身代わりとなって矢を受けた仏さま白本尊阿弥陀如来像について書きたいと思います。
白本尊さまが安置されているのは静岡市の宝台院という浄土宗のお寺です。
このお寺は徳川家康の側室であり二代将軍秀忠の生母「お愛の方」のご遺骨を葬ったことから徳川家との繋がりが始まりました。
以来、駿府における徳川家の菩提寺として永らく徳川家の庇護を受けてきました。
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白本尊さまと家康公
白本尊さまは鎌倉時代の仏師快慶作の阿弥陀如来立像で、もともとは岡崎市にある大樹寺というお寺に安置されておりました。
大樹寺は徳川家・松平家の菩提寺として有名ですが家康公は自身が若い頃このお寺で五重相伝という儀式を受けました。
この儀式を受けた際のご本尊が白本尊さまでした。
そのため家康公は譲り受け、肌身離さず常に戦に連れて行ったと伝わります。
戦の中で家康公が敵方に狙撃された際、白本尊さまが身代わりとなって右耳に矢傷を受けました。
そのため一層信仰は強まり念持仏として駿府城御座の間に安置されました。
その後1616年に家康公が亡くなると二代将軍秀忠公により徳川家菩提寺の証として宝台院へ白本尊さまが贈られました。
以後300年以上歴代将軍から徳川家の守り本尊として篤い信仰を受けてきました。
白本尊さまはどこに安置されていたのか
白本尊さまは本堂ではなく御神殿という建物に安置されていました。
御神殿は神(東照大権現)となった徳川家康公をご本尊としていたお堂です。
徳川家康公の自画像を本尊としてその脇に白本尊さまは安置されていました。
御神殿は徳川家のお内仏のような場所であり白本尊さまは秘仏として扱われておりました。
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徳川慶喜公謹慎の地
宝台院は最後の将軍徳川慶喜公が大政奉還後に謹慎した場所でもありますが、謹慎地に宝台院が選ばれた理由も白本尊さまが安置されていたからかもしれません。
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静岡大火そして現在
昭和15年に静岡大火という火事が起こり国宝だった伽藍が全て焼失してしまいます。
白本尊さまは火事の中なんとか持ち出されましたが光背(ご本尊の後ろの光)と台座(ご本尊の立つ蓮の形をした台)を焼失する被害を受けます。
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現在は国指定の重要文化財になっており遠方からも多くの拝観者にご見学いただいています。
令和6年には、浄土宗開宗850年慶讃事業の一環で白本尊さまの認知度をあげるため石柱を建立するなど取り組みが進んでいます。
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執筆者
宝台院副住職 野上崇光