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宝台院と徳川家
今回は宝台院とお愛の方、徳川家との繋がりについて書きたいと思います。
徳川家との関係の始まり
宝台院は元々、龍泉寺という名前で静岡市葵区柚木に創建されました。
創建から約80年後に徳川家康の内室お愛の方が駿府城にて亡くなり龍泉寺へ埋葬されます。
公式にはこの時から徳川家との繋がりが始まったとされています。
しかし恐らくその前から当時の住職と家康は親交があり駿河国における最大の浄土宗寺院であった龍泉寺が埋葬地に選ばれたと考えられています。
お愛の方について
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お愛の方(西郷局)は現在の掛川市に生まれ徳川家康へ嫁ぎます。
一般的には側室とされておりますが文書によっては正室として扱われているなどさまざまな説がございます。
夫婦生活は大変良好で家康が生涯で最も愛した女性とされています。
その証拠にお愛の方が産んだ秀忠を二代将軍に起用した他、二男忠吉を尾張藩主に抜擢します。
お愛の方は浜松城の台所を切り盛りしますが、家康が駿府城へ移ると度々心労が重なり37歳という若さで亡くなってしまいます。
お愛の方の17回忌
お愛の方が亡くなると徳川家康は龍泉寺を紺屋町(現在静岡パルコがあるあたり)へ移動させます。
そして盛大に葬儀を執り行いご遺骨を龍泉寺へ安置します。
また、寺領30石を与え、家康公自画像(現存)、真の太刀(現存)を寄進します。
その後、家康が亡くなると秀忠が龍泉寺をさらに発展させていきます。
母であるお愛の方の17回忌に合わせ大伽藍を造営し大法要を営みます。
後水尾天皇から勅使が派遣され戒名と従一位の追贈が行われます。
これによりお愛の方の戒名は「宝台院殿一品大夫人松誉貞樹大禅定尼」となります。
よって宝台院殿からお名前を頂き龍泉寺の正式名称を宝台院に定めました。
徳川家菩提寺として
二代将軍秀忠は以上のような好待遇にとどまらず、徳川家の守り本尊であった白本尊阿弥陀如来を寄進した他、寺領300石・格式10万石を与えるなど徳川家菩提寺として更なる発展に寄与します。
以来、その意志を継いで歴代将軍は宝台院を大切に庇護し300年以上にわたってお愛の方の霊を慰めてきました。
執筆者
宝台院副住職 野上崇光