地元の地理と歴史シリーズその4 第二寝屋川と楠根川

 この地元の地理と歴史シリーズの前回は新喜多の地について書きました。今回は森河内の東と北を流れる第二寝屋川について見ていきたいと思います。
 
 第二寝屋川は現在当たり前のように大きな川として流れていますが、56年前に開削された川です。もともとは楠根川として八尾の中田(高安の南西)付近から流れ、若江から楠根へ至り、稲田で菱江川(玉串川)と、放出駅西の今の阪東大橋のあたりで長瀬川と合流し、新喜多の地を流れつつ、鴫野駅の北側の新喜多大橋付近で寝屋川に合流する流れでした。

第二寝屋川掘削前の状況

 地元の方々に伺うと、楠根川は昔、土手でおりてゆける川だったそうです。土手でジュズダマの実を採って暖簾を作ったお話をしてくださる方もありました。ただ、楠根川の流れは狭く緩やかで、大雨が降ると各地が浸水する状況が戦後も続いていました。その対策として深く掘削して流れる量を増やそうとしますが、寝屋川への合流地点は蒲生四丁目付近。当時から市街化が著しく川幅を広げることができません。そのため、現在のように放出以西は新たな流路を開削し、寝屋川と並行して大阪城の北側まで流すことになったそうです。この改修工事は昭和30年に着手、42年に完了しています。
 

現在の流れ 寝屋川との合流地点が大阪城北側になっている


 この第二寝屋川の開削によって八尾・東大阪の排水はかなり向上しました。ただ、それによって旧楠根川は遊歩道に、玉串川は東大阪市に入る際に第二寝屋川に水を落とし、その先は暗渠として蓋をされ現在かんがいの時期以外は水の流れはありません。また、排水対策としては、高井田ライフの西側に高井田ポンプ場という排水施設があります。布施公園も現在排水貯水槽建設の工事中です。中河内は排水が現在も課題である土地ということがよくわかりますね。
 
 さて、これで第二寝屋川を少し見てみました。次は、少し離れますがせっかくなので寝屋川の歴史も見ておきたいと思います。こちらも以前書いた大和川付け替えと大いに関係します。また落語、野崎参りの舞台でもあります。そのあたりを含めて書けたら楽しいかな?と思っています。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?