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ジオパークに ハマってしまった!     §7 第4回ジオパーク講座より      sono3 くりはら田園鉄道

☆彡 前回は、失礼いたしました!体調不良につき、お約束した内容でアップすることができませんでした。今日はだいぶ良くなり、症状は「のどの痛み」のみになりました。
☆彡 「#Nゲージ」で訪問していただいた方は、この記事の最後の方「くりでんミュージアム」が出てくるあたりに情報があります。

▢ われらが『くりでん』、くりはら田園鉄道

「くりはら田園鉄道」は、細倉鉱山の「物資輸送」を目的として1921年にスタートしている。当初は馬車軌道の計画だった。というわけでまずは歴史から。

 〇 くりはら田園鉄道の歴史

   細倉マインパークの建物から出て、駐車場入り口の坂を下ると左側に「くりはら田園鉄道」の終着駅、「細倉マインパーク前」駅がある。残念ながら今はもう廃業となった「くりはら田園鉄道」、この「くりはら田園鉄道」、構想のはじまりは「馬車軌道」だった!細倉鉱山の原料や製品を馬で運ぼうという計画だったのだ。この構想が世の中に知れるにつれ、一般の貨客運送を希望する声が高まった。 

1848年 馬車軌道で計画スタート!・・・一方で一般の貨客輸送への希望が高まる。
1918年 栗原軌道株式会社 設立
1919年(大正 8年)馬車軌道から蒸気機
             関への計画変更

1921年(大正10年)石越~沢辺 国鉄軌
            道より少し小さめの762ミリ軌道 
            にて開通
1922年(大正11年)沢辺~岩ケ崎間開業
1923年(大正12年)細倉鉱山で大
             火・・・トラック輸送にシフ
             ト・・・経営悪化・・・
1934年(昭和 9年)鉱山経営が三菱鉱業
             へ
・・・鉱山が発展し、貨物輸送
             拡大栗原軌道が貨物輸送の大動脈
             となる
1941年(昭和16年)栗原軌道、社名変更
            「栗原鉄道株式会社へ」
1942年(昭和17年)岩ケ崎~細倉間開業 
              石越~細倉間全線開業

     計画スタートから94年をかけて、全線が開業した!
    
 ※1947年(昭和22年)
               カスリーン台風  大災害
 ※1948年(昭和23年)
               アイオン台風   大災害
  被害は甚大だったが、栗原鉄道の需
        要は高く、復旧は急がれた

  1950年代に入ると、東北本線に先駆けて(10年以上も早い)電化され電車が走るようになり、併せて軌道が拡張され、国鉄と同じ1067ミリとなり、仙台からの直通列車も可能となった。そして、
社名も栗原電気鉄道へと変更される。
1950年代後半~1960年代後半
                             栗原電気鉄道の最盛期

1968年(昭和43年)
                                利用者が減少し始める

利用減少の原因
   1 過疎化の進行(人口の減少)
   2 自家用車の普及
   3 ニクソン ドルショック
   4 第一次オイルショック
      5 1987年の鉱山の閉山

1969年(昭和44年)合併により一時「宮              城中央交通」の路線となっていた
            が、再び栗原電鉄に社名変更
1987年(昭和67年)細倉鉱山が閉山 こ
             れに伴い貨物営業廃止
             東日本旅客鉄道との連絡運輸廃止
1988年(昭和68年)細倉~細倉鉱山廃止
1990年(平成 2年)細倉マインパーク駅
             開業
 細倉駅廃止
1993年(平成 5年)親会社である三菱マ 
              テリアルが沿線の5市町村に株式
              を譲渡し、第三セクター鉄道とな
              る
1995年(平成 7年)「くりはら田園鉄
             道」
に社名変更 電化廃止 

           ワンマン運転開始

2007年(平成19年)鉄道全線廃止
 

〇「くりはら田園鉄道」時代の駅
  1石越駅→2荒町駅→3若柳駅→
         4谷地畑駅→5大岡小前駅→
        6大岡駅→7沢辺駅→8津久毛駅→
         9杉端駅→10鳥矢崎駅→11栗駒駅                →12栗原田町駅→13尾松駅→
         14鴬沢駅→15鴬沢工業高校前駅→
         16細倉マインパーク前駅

「くりはら田園鉄道」は、細倉鉱山に
     よって産み落とされ
鉱山と沿線
 の地域によって育てられ
、自然と時代      の流れにもまれながら生ききった。
    
89年の人生だった。

 この「くりでん」、事実を年代順に並べただけでも、自然にストーリーが匂ってくる

 「くりでん」は、そのものがジオパークみたいなものなのかもしれない。この土地で、この地域で、コーディネーターのような役割をはたしてきたのではないだろうか。想像力と創造力を働かせて年表を見てみよう。この地域に「なぜ鉱山が生まれたのか」、「鉱山はなぜ発達したのか」、「「くりでん」はなぜ産み落とされたのか」、「なぜ、はじめは馬車の計画だったのか」・・・「くりでん」は、なぜ栄え、なぜ衰えたのかくりでんの生きがいはなんだったのか?

 さて、もう少し・・・妄想の世界に遊んででみよう!「くりでん」は、誰かとカップルになったのだろうか?このジオパークの中で、ジオサイトたちに聞いてみよう!もしかすると「あ、おれ」「えーわたし」って声を上げる人が出てくるかもしれない。そして、「くりでん」は(uhu )こどもを生んだのだろうか?

★栗駒山麓ジオパークで、「『くりでん』の子どもをさがす旅」なんて企画出さないかな?

 〇くりでんの現在
  もと「若柳駅」の跡地周辺には、「くりはら田園鉄道公園」ができてい
 る。機関車庫、客車庫、資料館が「くりでんミュージアム」として営業し 
 ているほか、その東側には芝生公園、旧若柳駅舎があり、全体を「くりは
 ら田園鉄道公園」と呼ぶ。機関車や客車が今もきれいなまま展示され、な
 んと機関車の運転体験までできるのだ!一部残された線路上をレールバイ
 クで走る体験
もできる。鉄道のジオラマもあるし、「NゲージM153(旧
 塗装ver)」
も販売されている(くりでんミュージアム売店…売店だけの利
 用も可能だそうだ
)。
  旧栗駒駅は、駐車場に変身してしまい、駅舎は残っていないが、すぐ近
 くに「山の駅」
ができている。栗駒岩ケ崎の六日町は、地域おこし・街づ
 くり活動がさかんで、移住者らも参加し、地域全体が新しくできた駅のよ
 うな機能を果たしているような気がする。…プラットホームみたいだ…。  
  細倉マインパーク前駅は、駅舎とホームが残されている。くりでんミュ
 ージアムほどきれいではないが、逆に昔の雰囲気が感じられてリアル感が
 ある。
「あっちが細倉鉱山。あっちが岩ケ崎方面」なんてガイドがいると
 よりいっそうリアル感を感じられるし、マインパークを見た後だと、鉱山
 とのつながりをより深く感じられるかもしれない。

☆彡「くりでんミュージアム」Nゲージ情報
  「くりでんミュージアム」
内の売店で販売中、売店だけの利用も可
  入場料 一般   500円
      小中学生 300円
      未就学児 無料
      団体(15名以上)料金有

  年間パスポート 一般   1,300円
         小中学生  800円

☆彡「くりでん」その他の料金
 レールバイク(一台4人乗り)500円

 KD乗車会  1回     300円
 こども構内運転体験    5.000円
 気動車運転体験   初回  30.000円
         2回目以後 25.000円
 いずれも2024年2月現在の料金。詳しくはミュージアムへ
くりはら田園鉄道公園 くりでんミュージアム
  住所:〒989-5501 宮城県栗原市若柳字川北塚ノ根17‐1
  電話:0228-24-7961 

※以上は、講座の資料・参考文献などをもとに、僕が構成しました。感想や思いなども主観的なものであり、必ずしも、誰もが 同じように感じることを保証するものではありません。

※参考文献・資料:
 2023年ジオパーク講座 資料
 「郷土資料事典4 宮城県 ふるさとの文化遺産」 人文社
 「くりでんミュージアム 公式ページ」https://kuridenrailpark.wixsite.com

 今回も最後までおつきあいいただきありがとうございました。次回は「マガンのねぐら入り」です。残念ながら諸事情により記事の投稿ペースが間に合わず、現在の伊豆沼では、マガンが北帰行をはじまっており、その数を減らしております。興味をお持ちの皆様は、今のうちにおいでになった方が良いかと思われます。
 「マガンのねぐら入り」が終わると、その次は「最終回」になります。
 2024年度次のシリーズのタイトルは、まだきめておりませんが、ハマってしまったジオパークについて、さらに詳しくお話しできるように資料を準備中です。とうとう「ジオパーク専用ノート」を創ってしまいました。

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