忍性ゆかりの額安寺,竹林寺、虚空蔵菩薩
額安寺は奈良の南西部にある。忍性の生家はここから1,2kmほどの三宅町屏風にあり、ここではじめて出家し修行した。
額安寺最寄りの平端駅を下りると道慈をまつる地蔵がある。道慈は額田部氏の出で、氏寺だった額安寺の初代住持となった。道慈は虚空蔵信仰を日本にもたらした人物。額安寺の本尊も虚空蔵菩薩。最寄りの近鉄線平端駅を降りると道慈をまつる地蔵堂があり、今は民間信仰の中に名が残されている。忍性は早くから虚空蔵信仰に馴染んでいたことだろう。鎌倉坂の下の虚空蔵堂も忍性の影響だろう、と容易に想像できる。
少し歩くといくつかの五輪塔が立つ墓地があり、中でも最も大きいものが忍性の墓。生前、極楽寺とこの額安寺、竹林寺に分骨することを遺言に遺した。手入れが行き届かないようで草が繁っていたのが残念だった。誰か訪れる人がいたら、鎌を持っていって草を刈ってあげてください。
竹林寺は生駒山東山麓にある。忍性は若い頃しばしばここに通って修行した。ここにも分骨され忍性の五輪塔があったが、壊れて今は新しいものが立っている。
忍性は額安寺から1、2kmのところにある三宅町屏風に生まれた。この地にある浄土寺に、近年忍性像が納められた。浄土寺は名の通り浄土宗の寺だが、地元出身の僧、忍性を顕彰する碑を建立したいとの申し出に快諾し、協力されたとのこと。その縁で忍性像が納められることになったという。