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プロレスは万物だ

 やっと、やっと見に行けました。青木真也を、大好きなプロレスを。
 
試合前日

 長野から、東京に行くときの高速バスの中で、ひたすら考えていました。どのようにプロレスを見ようかと。青木真也は、今回の拳王戦をどのように捉え、何を残そうとしているのか。何を生み出そうとしているのか。いやいやそれよりも自分のことだ。自分は、どういうモチベーションで試合を見て、この闘いのどこにテーマを見出していくのか。そして、そのテーマは明日どこに転んでいくのか。自分の面白いと考えるテーマを明日までに準備できるのか。ここは自分との勝負だ。結局、テーマは固まらず、就寝するのだが。

試合当日

 気持ちよく、朝も起きれて、両国に向かう。だが突然、10時ごろに、ユーチューブを開設したとの、ご報告が。なぜ試合の当日にわざわざ連絡したんだろうと考え、何か意図があるに違いない!と思った。でも、え?と思ったのは、僕だけじゃないと思うのである。少し困惑しながら隅田川を見る。でも後になり気づいたのは、この報告のタイミングがどうも絶妙なことである。試合数日前だとか、試合後の報告ではないのである。試合数時間前というのが絶妙で、巧妙なのである。おかげで僕は、狐につままれたまま、不安定な状態で国技館に到着したのだ。これも含めて、プロレスなのだと思い、胸が躍った。
 しかし、会場に試合開始前の1時間半前に到着してしまい、時間が大量にある。時間を潰すのが下手くそなので、特にすることもなく、国技館の2階でおとなしく座っていました。でも、目の前に青木真也が出てくることを考えると、いまだに信じられないという気持ちで、ふわふわした気分でした。あの青木真也が目の前にきっと現れてくるはずなのだからと思い、戦慄と緊張を感じずにはいられず、先のことが一つも分からないというドキドキがなかなか収まってくれませんでした。

試合を反芻

 試合は、本能むき出しで前のめりで見ました。なので、忖度なく、面白いと感じたときに、拍手したり、叫んだり、号泣したり。まさに怒濤の5時間だったのですが、僕の能力不足で全ての試合を上手く思い起こせないので、自分の心が動かされた試合のみを思い起こしてみます。


秋山準 対 納谷幸男

 この試合から、空気がガラッと変わったのを肌感覚で感じました。DDTが凄いところは、幅の広さで、抑揚だとか緩急があるところだと思います。なので、際立たせるという手法を直に見た印象です。僕は、この秋山選手や納谷選手のようなゴツゴツしたものが好きで、噛み合わない試合が大好きであると確信しました。こういう上手く、小奇麗に見せたりしない試合は、それだけ人を引き込むという特性があり、思わず見入ってしまうなと舌を巻きました。


拳王、大和田
青木真也、中村圭吾

 僕は、一番安い席なので、もっと近くで見たくて本当にじれったい気持ちになりました。でもバカサバイバーの曲が流れた時、もう我慢できなくなり、二階席の一番前のところに行き、「アオキー、アオキーー!」と叫びました。すると係員の人に呼び止められ、席に戻るように注意されました。その時、次はもっと近くでプロレスを見ると心の中で強く決心し、また一つ目標ができたて良かったと無理矢理思っております。
 話は変わりますが、拳王がとてつもなく恐かったのです。拳王の稀にみる意気揚々とした気配と、全てを青木真也に預けられるという恐ろしい拳王の安心感を感じて、拳王の未知の恐怖というものを体験しました。試合は、青木真也と拳王から始まり、ものすごく噛み合っていなくて、興奮しました。そこで青木真也が試合ではなく、闘いをしているのだと改めて気づかされました。この合わないところに、危うさと同時に我武者羅があり、人の心をつかんで離さないものがあります。

 その後、僕が号泣するほど、感情移入してしまったのは、中村圭吾と、Toyと高鹿です。
 僕は、中村圭吾の全力のエルボーに感情が揺さぶられ、Toyと高鹿が言った気持ちの差といった勝負に、心が揺らされました。
 中村圭吾は自らに、プロレスラーとしての自信をおそらく微塵も感じていないと思うのです。どうしても名前のある人にいつも見劣ってしまったり、物販の時は、他の選手と比べると少ないのかもしれず、知名度や、人からの評価は十分ではないと思うのです。だから、中村圭吾がプロレスラーとしての自信を持てるものはなく、彼は今、暗闇の中にいると思います。余談ですが、僕は、自信があるから勇気が出ると思っています。自信がないのに、勇気が出ることはほぼゼロだと思っています。でも自信が無いのに中村圭吾は、エルボーを出し続けました。僕はあの中村圭吾の拳王へのエルボーを忘れません。拳王が青木真也に向かおうとしたところを引き留めて、中村圭吾がエルボーを続けたのを僕はこれから忘れないです。あのエルボーは、自信から出たエルボーではなく、何から出たのかは僕は分からないし、もしかしたら中村圭吾も分からないかもしれません。僕は、あれは奇跡のエルボーなのだと思いました。
 Toyは、楽しむということが一番強いという確信を持っており、高鹿は、お互いの力の差はないから、あるのは気持ちの差なのだと煽りVで言っていました。そして、内容はまさに高鹿の言っている通りで、二人の力は互角なものに感じました。でも、体力が有限なものだから、気力も有限なはずなのですが、何度でも二人は立ち上がるし、膝を出し続けるしで、お互いの『もう一丁精神』に終わりがなく、物凄くタフな闘いを見ることができたと思いました。何かこれにも二人がなぜ立つのか分からないが故の奇跡的なものと、自分の想像を超えたものを感じて、二人の勇ましい姿勢に涙が止まりませんでした。

 プロレスは勝敗とか、表面的な凄さを軸に語ると、面白くないと思いました。周りのお客さんの盛り上がり方を見ると、「タイトル戦に泥を塗る気かー」とか、「ぶっ殺せー」とか、器械体操的な動きを見ると、「痛そー」とか「すごい運動神経ね」とか、すごく表面的なモノしか見てなくて、嫌になりました。勝敗だとか、表面的なもので見ると、青木真也のいう「先がない」ということだと思うのです。とにかく、僕は中村圭吾の自信がないのに出たエルボーが忘れられません。

 

 

 

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