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【ギャラリー冬青 写真展】 2023年7月期 外山喜雄・恵子

ギャラリー冬青 7月期 写真展
 外山喜雄・恵子 写真展
The Sound of New Orleans ニューオリンズの日々 1968-73
 
会期:2023年7月6日(木)~7月29日(土)
11:00~19:00 日曜・月曜・祝日 休廊  入場無料
最寄り駅:東京メトロ丸ノ内線 新中野駅徒歩5分
 

オリジナルプリント
プリンティングアーティスト 金子典子(ニュープリント)
Copyright (c) Yoshio and Keiko TOYAMA All Rights Reserved


<作家の言葉>
ルイ・アームストロングの音楽に初めて出会ったのは高校時代。当時『グレンミラー物語』、『五つの銅貨』などのジャズ映画が大ヒット、”ジャズ王”としてスクリーンに映し出された”サッチモ“の楽しく強烈なジャズの魅力の虜になった。1901年にニューオリンズのスラムに生まれ、差別と苦難を超え1920年代にジャズを創りジャズ王となったルイ・アームストロングの生涯と、独特のスイング感で世界を征服したジャズの故郷ニューオリンズの街はロマンに溢れていた。
 
大学時代、サッチモを始めニューオリンズからジョージ・ルイス、ジャズの巨人、デューク・エリントン、カウント・ベイシー、ライオネル・ハンプトン他『ジャズの巨人』来日ラッシュが続き、大学のジャズ研で出会った家内、外山恵子と意気投合、巨人たちの楽屋にまで“侵入”したことも。二人は1966年に結婚。就職後もジャズへの夢が忘れられず、1967 年12月、トランペットとバンジョーを片手に夫婦で移民船ぶらじる丸で渡米、憧れの『サッチモとジャズの故郷』で5年間ジャズ武者修行の生活を体験した。
 
ジャズは、ニューオリンズの黒人達の風習『ジャズ葬式』から生まれた。墓場への行進は悲しい讃美歌。埋葬が終わると、バンドの強烈なビートに合わせ人々は強烈なステップを踏み踊り狂いながら帰っていく。黒人の人々の『生きている苦しみ』からの魂の解放感がジャズのリズムの原点にある。二人がジャズ修行をした1968年から73年のニューオリンズは、まだ公民権運動前の人種差別の名残が残る時代。1ドルは360円、年間海外渡航者も少なく30万人。ニューオリンズに行ってきたことが宇宙旅行でもしてきたように驚かれる時代だった。
 
私達はジャズ武者修行の合間、私達日本からやってきた若いカップルをやさしく迎え入れてくれたニューオリンズの街の写真を撮り続けていた。貧しいけれども、底抜けにハッピーで、この上なく“スイングしている”黒人社会と、ジャズを生んだ独特の風習の数々。黒人街の教会、ジャズパレード、お葬式、屈託のない子供達…。サッチモがいつもニューオリンズの想い出として語っていた “ジャズ天国” …サッチモの子供時代そのままのニューオリンズがそっくりそこに残っていて、私達はもう夢中でシャッターを押し続けた。
 
5年間で記録した “サッチモの隣人達” の写真は1万枚を超える。貧乏ミュージシャンの私達は、節約のため100フィート巻きのフィルムを小分けにし、フィルム代を安くあげる術や、フィルム現像や写真の引き伸ばしまで覚え、暗室などないニューオリンズの安アパートで暗くなるまで待ち、夜通し現像した。バスルームは現像したフィルムが何本もぶら下がり、バスタブには定着液を洗い落とす水洗中の写真がたくさん浮かんでいた。夜、暗くなると暗室に早変わりした僕らのベッドルーム…。現像液のにおいや、停止液の酢酸のにおい…。部屋中に立ちこめていたあのにおいを、今も懐かしく想い出す。
 
今回、この写真展に並べさせて頂いた想い出の写真の数々から、差別はあるけれど白人も黒人も本当はお互いに愛し合っているジャズの故郷、また、この素敵な街に漂うサウンド『The Sound of New Orleans』までも、感じ取って頂くことができたら幸いだ。
 
また、今回、“私達の神様”、サッチモの写真も2点展示させて頂いた。
サッチモが亡くなる1年前の1970年、スウィング・ジャーナル誌の派遣で評論家野口久光さんとNYクイーンズ区のアームストロング邸を訪問、貴重で素晴らしい写真を撮影された名写真家、故佐藤有三さんによるサッチモとサッチモ夫妻のポートレートだ。ご快諾を頂いた奥様、佐藤友子さんに心より感謝申し上げます。
 
<作家略歴>
外山喜雄・恵子(とやま よしお・けいこ)
デキシー、スイング等のオールド・ジャズに生きるジャズ夫婦。
外山喜雄は1944年、東京生まれ。早稲田大学経済学部入学後すぐにニューオリンズ・ジャズクラブに入り、ピアノ・バンジョー奏者の夫人、恵子(早大文学部)と出会う。卒業後結婚。1967年12月、夫婦でブラジル移民船に乗り込みニューオリンズへジャズ武者修行の旅に出る。以後、通算5年にわたりジャズの故郷 でジャズを学び、ヨーロッパ、アメリカ各地を演奏旅行する。現在は「外山喜雄とデキシー・セインツ」(75年結成)の国内ライブ、コンサート、海外ジャズ 祭でも活躍。東京ディズニーランドの人気グループとしても永年活躍した。
随筆、ジャズ評論の執筆活動の分野でも活躍。1970年前後、永年にわたりスイングジャーナル紙に多くの写真、エッセイを発表。ジャズ16mmフィルムや ジャズ創世記の貴重な資料のコレクターとしても知られる。1994年日本ルイ・アームストロング協会を設立、銃や麻薬に囲まれて暮らすニューオリンズの子供達に楽器をプレゼントする運動、“銃に代えて楽器を”の運動で、850点を超える楽器をニューオリンズに贈った。2005年ニューオリンズがハリケーン・カトリーナで被災時、同市の支援活動にも取り組み、2011年日本が東日本大震災で被災すると、今度はニューオリンズの人々が立ち上がり津波で楽器をなくした気仙沼の子供ジャズバンドに『恩返しの楽器』が送られ温かいニュースとなった。その後東北―ニューオリンズの子供たちが両国を相互訪問するという、青少年ジャズ交流も実現させている。
こうした功績で、外務大臣表彰、文部科学大臣表彰、第一回ジャズ大賞、ミュージック・ペンクラブ音楽賞、JASRAC音楽文化賞、アメリカで『スピリット・オブ・サッチモ生涯功労賞』を受けている。
著書に『聖者が街にやってくる』(冬樹社)、『ニューオリンズ行進曲』(冬青社)、『聖地ニューオリンズ聖者ルイ・アームストング』(冬青社)、『ルイ・アームストロング 生誕120年、没後50年に捧ぐ』(冬青社)、訳書に『独断と偏見のジャズ史』(スイングジャーナル社)など。夫妻でニューオリンズ市名誉市民。
 
◯日本ルイ・アームストロング協会Web Site : http://wjf4464.la.coocan.jp/

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