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【高橋国博のブログ「目」】 2023年8月17日 まだまだ知らぬ写真の世界・・・。

この度の写真展「白岩登三靖・世界と私」を企画・展示させて戴いて、改めて思う事は・・・。
当然ではあるが、世の中には髙橋が知らぬ写真家の方々や、まだ知らぬ作品が埋もれているのではと恐怖感に近い思いに包まれています。
全国にはもっともっと居られるのではないかと言うことであります・・・。
世界にはと思うとき・・・。・・・。
改めて写真領域の広さを感じとらせて戴いている。

当初は「大辻清司写真実験室」を彷佛させると語って参りましたが、そうでないことが理解され始めた・・・。
「故白岩登三靖氏」が様々な仕法、素材、環境下のもとで撮影されている行為は「故大辻清司氏」と相通じるものがあるものの・・・。

『「大辻 清司 おおつじ きよじ」
1923年東京に生まれる。
東京写真専門学校(現・東京工芸大学)に入学。
戦後、1949年美術文化展への出品を機にシュルレアリスムに触発された前衛的な写真作品を発表する。
「グラフィック集団」の結成や「実験工房」に参加するなど、様々なアーティストとの共同制作も盛んに行う。
『芸術新潮』の嘱託カメラマンや、広告写真の分野でも活躍。
1975年『アサヒカメラ』誌で「大辻清司実験室」を連載。
文筆活動も旺盛で「上原だより」「工房から」などの連載や評論、写真技術の解説も多数。
教育者として、桑沢デザイン研究所、東京綜合写真専門学校、武蔵野美術大学、東京造形大学、筑波大学、九州産業大学で教鞭を執り、高梨豊、潮田登久子、島尾伸三、牛腸茂雄、畠山直哉など多くの写真家を輩出。
そのほか、実験映画「キネカリグラフ」「上原二丁目」、手製カメラの制作など、写真に関連するあらゆるメディアに関わり、実践した。
著作『写真ノート』他。
1999年に東京国立近代美術館フィルムセンターで「大辻清司写真実験室」展を開催。
2001年逝去。』

「故白岩登三靖氏」は(2002年62歳の若さで他界)画家として志、デザイナーとして「カメラ毎日」(写真雑誌)や数多くの写真集、また様々な商業印刷物などのデザインを手掛けられ活躍された。
日々、「故白岩登三靖氏」の作品に接していると、「故白岩登三靖氏」の世界感が強く伝わってくる。
「故白岩登三靖氏」の作品からは自分自身の存在感をとても大切にしている。
強く自身の存在感を意識しているように見える。
とても「現実主義」だと思う。
「リアリズム」を超えようと試みるが「リアリズム」へと常に回帰しているのではと思う。
土門拳が唱える「リアリズム」とは違い、様々な現象のなかに自分自身を回帰している
それに対して大辻清司作品は「現実主義」を超えようと写真表現の可能性を超えようとしている。
そこには写し手の存在、自分自身の存在すらない。
「故大辻清司」は「非現実主義」と言う実験の中で、日本に置ける現代写真表現として多くの写真家に影響を与えた。
とても、体験出来ない写真表現の世界がギャラリー冬青で体感出来ている。

オーガナイザー白岩砂紀氏・キュレター高橋国博、下記在廊日です。
8月8日・22日・24日を除きAM11~19時在廊致します。

※8月25日(金曜日)PM6時~18時 クロージング(ワインを呑みながら・・・。)をさせて戴きます。
 是非ご参加下さい。


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