【超短編小説】ディア・ジョン
1990年代の一時期、ぼくはあのジョン・レノンと同じアパートに住んでいた。こう書くときっとあなたは言うだろう、ジョン・レノンは1980年に撃たれて死んだじゃないかと。
もちろん、世界中の人々がそう信じていて、新聞や本やインターネットのそこらじゅうにそう書かれているのは知っている。しかしぼくは今ここに、ぼくだけが知る真実を明らかにしたいと思う。実はあの頃ジョンはまだ生きていて、メイン州の小さな町にある学生向けアパートのぼくの隣の部屋で、世の中から隠れるようにしてひっそりと暮らしていた。
とはいえ、彼が臆病者みたいにビクビク自分の素性を隠していたと想像するのは間違いだ。彼が書いたいくつものシンプルで力強い詞からも分かるように、ジョンはいつもあけっぴろげで、裏表がなく、虚飾からかけ離れた存在だった。彼は聞かれれば誰にだって正直に打ち明けていた、ぼくはジョン・レノンですと。
ただ誰もがそれを冗談だと思うか、あるいは彼のことを胡散臭い山師とみなしてまともに相手にしなかった。言葉通りに受け取ったのはぼくだけだった。その頃彼はモジャモジャともつれたモップみたいな長髪で、例の丸メガネをかけ、いつもジーンズにクタッとした白いTシャツを着ていた。冬になるとその上に黒と茶色のコートを羽織った。
ジョン・レノンの写真を見たことがある人なら誰だってピンと来たはずだ。が、「ジョン・レノンが仮に生きていたとしてもあんな貧乏ななりをしているわけがない」とアパートの他の住人たち、つまりエディーやジョシュやシンディはぼくを笑った。「確かに顔はちょっと似てるけどね」
この話をすると、ジョンは微笑みを浮かべた。「それでいいんだよ。ぼくはもう、以前のぼくじゃない」
彼はまた、あの痛ましい12月に起きたことを(すべてじゃないにしても)話してくれた。あの時撃たれたのはたまたま通りかかった無関係な誰かで、ジョンが死を逃れたのは百万に一つの偶然だったこと。そしてそのまま身を隠したのはCIAから逃れるためだったことを。CIA。あの無慈悲で醜悪な政治的モンキービジネスの画策者達。
「多くの人々が、友人達が、ぼくのために尽力してくれた」と彼は目を閉じて言葉を継いだ。「ぼくは彼らに、死ぬまで感謝の念を抱き続けるだろう。そして生きながら死者となったぼくはこの町にやって来たんだ。たった一人で、残された時間と真摯に向き合うために」
しかし、とぼくは問いかけた。音楽業界に未練はないのか、そしてセレブとしての栄華や過去の人生に思い残すことはないのかと。
「君には分からないだろうな、ポップ・スターであること、ジョン・レノンであるってことがどれほどの重荷と責苦をもたらすものなのか」
そして窓の外のいちょう並木を見上げながら続けた。「ぼくはすべてにうんざりしていたんだ、レコーディングにもツアーにも終わりのないパーティーにも。そんなものはゴミだ、腐って悪臭を放つチーズだ。今でもぼくの胸を締め付けるのはぼくの家族、つまりヨーコとショーンの思い出だけだよ」
そしてこう付け加えた。「彼らに会いたい。でもそれはもうぼくには許されないんだ」
普段の彼はただブラブラしているヒッピーにしか見えなかった。その自然に徹した生き方、常識に囚われない行動はすでに挙動不審の域に入り込んでいて、周囲の目にはエキセントリックに映った。エディーとジョシュは影でジョンの悪口を言った。「本当にジョン・レノンならポールとリンゴに電話してみろよ」
だから彼はよく、ぼくの部屋に遊びに来た。そしてテレビを観たり、ぼくのギターをかき鳴らしながら歌を歌ったりした。彼の歌がレコードで聴くのと感じが違うと言うと、それは録音技術のせいだと言った。「レコードではピッチを上げてるから」
ビートルズの曲では、自分が作った曲だけでなくポールやジョージの曲も歌った。お気に入りはジョージの「タックスマン」だった。他にプリンスやマドンナの曲も歌った。歌っている時の彼のまなざしはアパートの天井とその向こうの空を突き抜けて、宇宙の秘密そのものに注がれているようだった。
「もう曲は作らないの?」とぼくが聞くと、「もちろん作ってるさ。いつか君にも聴かせてあげるよ。ぼくが書こうとしているのは、これまで誰も書こうとしなかった歌だ。それはテントウ虫があげる祈りの歌であり、鯨たちの婚礼の歌であり、北極と南極が呼びかわす声の歌であり、女の乳房の歌であり、赤ん坊のお尻についての歌だ」
一度、ポール・マッカートニーについて聞いてみたことがある。するとこんな答えが返ってきた。
「彼はぼくにとって世界で一番素晴らしく、同時に一番腹立たしい奴だ。おそろしくわがままで、いつも冗談みたいなベースラインを弾いていた。ある時我慢できなくなって殴ろうとしたら、あいつはギョッとしてぼくの顔を見た。それがふと自分の顔に見えたんだ、まるで鏡の中を覗き込んだみたいに。だから殴るのをやめた。多分、あの頃ぼくたちは一つの人格の半分ずつだったんだと思う。レノン=マッカートニーという人格のね」
ぼくはまた別の時にヨーコとショーンの名前も出してみたけれど、答えは返ってこなかった。ジョンは口をつぐみ、ぼくのチューニングが怪しいギターを手に取って、小さな声で「ラヴ」を歌い始めた。だからぼくはそっと立ち上がってキッチンに行き、彼とぼく二人分の夕食の下ごしらえを始めた。ジョンはぼくが作るロールキャベツが大好物だったし、その日はおいしいロールキャベツがどうしても必要だったからだ。
そんな思い出の数々が、今ぼくの脳裏を小鳥のようにすばやく横切っていく。そういえば、ジョンがぼくを手助けしてくれたこともあった。大学をクビになって不動産会社の面接を受けに行った時に付き添ってくれたのだ。もちろん付き添いなんて不要だったし、ぼくが頼んだわけでもなかったが、「君の素晴らしさをぼくが証言してあげる」と言って彼はついてきた。スーツとネクタイ姿のジョンを見たのはその時が最初で最後だ。
会議室で四人の男たちと向き合って座り、ぼくがいくつか質問に答えたあとジョンが喋り始めた。例によって確信に満ちた、夢見るような口調で。
彼はぼくの友人としての資質、隣人としての資質を褒め称えた。ぼくの思いやり、慎ましさ、謙虚さ、そして寛容さ。そうした資質が平和にとって、世界から争いをなくすことにとってどれほど大切なことか。その一方で、それらが今どれほどないがしろにされていることか。想像してみて下さい、と彼は両手を広げて言った。彼のもつれたモップみたいな長髪が丸メガネの上で風もないのに揺れていた。
「憎しみのない世界、国境のない世界、もはや争う必要のない世界を。天国のない世界、宗教のない世界を。人はぼくを夢想家と呼ぶでしょう、でもそう夢見ているのはぼくだけじゃありません」
四人のスーツを着た男たちは鎧のようにかたくなな沈黙とともにそれを聞いていたが、やがて末席の一人が立ち上がり、ジョンの肩を優しく叩いて部屋の出口を指さした。このようにしてぼくたち二人は会議室から退去させられた、どんな言葉も発せられることなく。翌日、ぼくは不合格通知を受け取った。
そんなぼくとジョンの友情が突然終わりを迎えたのは、ある冬の日のことだ。透明な冷たい朝の光が、家具も服もきれいさっぱりなくなった彼の部屋に差し込んでいた。誰にも何も告げず、彼はただ姿を消したのである。ぼくの中に広がる悲しみは湖水のように深く静謐だった。とはいえ、そこに彼を責める気持ちや怒りの感情はかけらもなかった。エディーやジョシュやシンディやその他の人々は彼を罵倒し、非難したが、それらはすべて誤解なのだ。彼がいなくなったのは嘘つきだったからじゃないし、もちろん家賃が払えなくなったからでもない。彼はただ、それまでの人生でいつもそうしてきたように、また別の空へと羽ばたいていったに過ぎない。心のままに、その満たされることを知らない猛々しい渇きに導かれるがままに。
あの朝、部屋いっぱいに溢れる明るい冬の光を見つめるぼくの耳には、確かに、彼の歌声が聴こえてきた。あの確信に満ちた、それでいて夢見るような、ジョン・レノンの歌声が。
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