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#母と娘 ⑥ 人生初カウンセリング!溜まった思いを吐き出してみる
身体の不調の原因が精神的なものからではと気づいたが、
さてどうしたらいいものか。
そこで、人生初のカウンセリングにチャレンジしてみた。
カウンセラーは30代ぐらいの女性だった。
母に言われて嫌だったこと、辛い思い出などを、とりとめもなく話す。
最初は少し躊躇したが、そのうちあれもこれもと、どんどん湧き出てきた。
思えば、母に対してのネガティブな思いを、堂々と話せる機会は今まで無かった。誰に気兼ねせず、誰からも非難されずに話していいなんて、なんと有難いことか。
それに相手がカウンセリンラーとはいえ、興味深そうにしっかり相槌を打ちながら聞いてくれるのも嬉しい。
ひたすらわたしが話していた記憶しかないが、そのとりとめのない話を、
毎回きちんとカウンセラーが整理してくれて、次に進んだと思う。
話の中で、母の生い立ちに目を向けてみることもした。
母は自分の母親(わたしの祖母)を11歳の時に亡くしている。
結核だったので、病床に近づくことも許されないままの別れだったらしい。母以外にも、6人の兄弟のうち、3人が亡くなるという、死と隣り合わせの幼少期を過ごしている。そして結局、母を含む3姉妹が残された。
母は真ん中。、真ん中は損だ、と母はずっとひがんでいた。
やがて祖父が再婚して新しい母が来る。祖父はおしゃれだし、結構モテたらしい。仕事と娘3人を抱えては大変だもの、息抜きに少しぐらい女の人と楽しく過ごしてもいいじゃない、と外野としては、気楽に思うけれど。
娘にしたら腹立たしかっただろう。とくに母が一番許せなかったらしい。
実家、祖父、継母、故郷、すべてが嫌いだった。だから早く家を出たくて、とっとと結婚した…というのが母の言い分だ。
母は自分が娘として親との関係を上手く築けないまま成長したのだ。
とくに、母と娘がどういうものか、ほぼ未経験だ。だから頭の中で“こうあるべき”という理想像を作りあげるしかなかった。
寂しい幼少期のせいか、母はずっと愛情欠乏症だ。誰よりも自分を愛して欲しい、目を向けて欲しいのに、叶わないまま成長した。
愛して欲しい、愛している…そんな愛情表現の仕方がわからない。
知らないことができないのは当然なのだ。
いざ娘を持って母になってみると、理想とはかけ離れた現実の娘の行動や
考えが理解できない。娘が楽しそうにしていると嬉しい反面、つい嫉妬の感情が沸いて、屈折した言葉を口にしてしまうのは、心の奥底にある自らの愛情欠乏症から来るのだろう。
母と娘の事だけではなく、家庭そのものについても理想を頭の中に作りあげて、“~ねばならない”をたくさん抱えていた。”女はこうあるべき“、”家庭はこうあるべき“、”夫はこうあるべき“…。わたしや父、周りがその理想に当てはまらないと、いら立って、何とか従わせようとする。
こちらは何で不機嫌になるのか、さっぱりわからない。その繰り返しだ。
母は自分にも、”~ねばならない“でたくさん縛っていた。そんなの、いくら人に怒りをぶつけたって、買い物三昧したって、永久に満たされるはずはない。だからいつも眉間に皺が寄っていたのか!
こんな風に客観的に考えられたところで、カウンセリングは終了。
毎回話した内容を少しずつ整理していったことで、ここまでたどり着いた。
ランダムに散らばっているものが、少しずつグループ分けされていくような感じだった。
でも、そんな生い立ちの母を結局は受け入れるしかないのだろうか。たしかに大変だったとは思うけれど、だからといって…。
どこかでやはりまだ納得できていない。やっぱり、わたしが我慢するのか。
受容か、我慢か?
まだモヤモヤしている。
それに、相変わらず不整脈は全然おさまらない。