講師として寄り添う限界

最近悩んでいたことがある。
それはある一人の考え方だ。

話を聞くと、どうやらやりたいことはあるができないという話であった。

何言ってんだこいつと思ったが、ヒアリングを進めると、その原因が明らかになってきた。

その原因は

バックグラウンド

である。

あなたは自分がどう育てられたか説明できるか。

説明したときに、否定的な言葉が多く出るか、肯定的な言葉が出るかであなたの性格、家庭環境も分かる。前者は毒親だと思い込んでる場合があったり、後者は親ガチャSSRなのかもしれない。

この自分の成長を説明するなかで、1つの経験が何か自分の性格を捻じ曲げたように感じたりしなかっただろうか。

例えば、中学受験、高校受験、大学受験。

受験というものは人を狂わせる。
それは受験生だけではない。親も然りである。

親の発言、行動が子供を苦しませる。

教育に対する狂気的な執着は人を変える。

私の親も同様にこのような執着はあったように思える。

バックグラウンドに大きな傷があればあるほど、子供の脳内に不可能性が組み込まれる。

不可能性が謙虚に変化するのであれば問題はないはずなのだが...。

私はこれまでも失敗してきたの。だからやりたくてもできないの。

動機があってもできない。その要因がバックグラウンド。そんな問題を他人が解決できるのだろうか。

他人に寄り添う限界がここにあるのかもしれない。

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