私が通った少年団

サッカーを始める私に、チームの選択肢などなかった。
他のチームなんて、知らなかった。
幼稚園年長の誕生日カードに「けいさつかんになりたいな」と書く虫が大好きな男勝りの女の子、サッカーがしたいのではなく、遊ぶ友だちが居なくなるから始めたんだと思う。

そんな私が行ってた少年団は少し異質だということを卒団してから感じた。

・人数が多い
私は、その当時は何も知らなかったけど、私の学年は50人を超えていた。(最後はやめた人もいて40人弱だったと思う)1-6年生の全体で300人ぐらいいた。

・スタッフも多い?
チームの代表は女のおばちゃん、監督はおっちゃん
監督は仕事をしているため、土日しか来れなかった
代表は年中無休、体調を崩した日は本当に1日も無かったと思う
平日の練習は、外部のコーチ(毎回5人ぐらいきてくれていた)
土日は、卒団生のお父さんコーチや卒団生と、代表と監督

・保護者の介入は一切なし
遠方の試合は、車に乗り合わせて学校から出発する。車を出してくれる親は募るが、我が子をその車には乗せてはいけないし、試合会場での接触も一切禁止。水が無くなったときのみ、口パクで合図をして、カバンの横にこそっと置いてもらう。その他の食べ物等を買ってもらうなどは禁止。試合中のアドバイスなどももちろんダメ。実際に親のマナーが悪いと、試合に連れて行ってもらえなくなる人もいた。

・掛け持ちは禁止
チームの掛け持ちはもちろん、スクールやフットサルもダメだった。
私のプチ憧れだったふたつ上の女の子は後にスクールのセレクションに受かり、それがバレてチームを退団してしまった

・忘れ物をしたらその練習中ずっとグラウンドを走る
名前をデッカく書いた白いビブスを全員着て練習をするが、そのビブス、そしてレガース、その他ソックスや、短パン(長ズボンやフード付きの服での練習は禁止)を忘れたら、その日の練習時間中ずっとグラウンドを走る。(3時間練習の時に忘れた時は泣きながら走った笑)

・アクエリアスを含むジュース、お菓子の持参は禁止
練習や試合でも、ウイダーやアクエリアスは禁止で、塩分補給は、みんな塩か塩昆布を持って行ってた。(水に塩を入れておいでと言われて、私はお茶を持って行ってたから、親に塩入れてと言ってお茶に塩を入れてもらったら、不味すぎて飲めずに水道の水を飲んだこともあった笑、そこから私は塩昆布を持参していた笑)
試合でのお弁当の時間は、お弁当のみ。親がテントを立ててお茶会をすることもなければ、子がそこに行くこともない。デザートは、みんなこんにゃくゼリーで、今日は何味!と言って楽しんでいた笑

・シャツは必ずイン
練習も試合も必ずシャツはズボンに入れる。挨拶する時に、全員入れているかを必ず確かめていた。

・真冬でも半袖半ズボンで試合
練習は、長ズボンやタイツを履いていなければ上はどんな厚着をしてもいい。が、試合は、必ず半袖半ズボンでないといけなかった。雪が降っていても、雨が降っていても、半袖半ズボン。試合に出ている人が半袖半ズボンなのだから、ベンチのみんなももちろん半袖半ズボン。親は必死に防寒対策をしてあげようと、中に3枚ぐらいユニフォームと同色のヒートテックなどを探して切って縫って着させてくれていた。笑
少なくとも、同じ市や地区のチームからは、かわいそうだという目で見られていたと思う笑
アップの時は、チームのジャージは着て良かった。

・ユニフォームは4年生から
低学年はユニフォームではなく、体操服で試合をする。
だから、チームのジャージなども持っていなかったし、お金は本当にかからなかった。が、4年生になる時に、40回リフティングができたら、ユニフォームを作る。
出来なかったら、出来るまでユニフォームは作ることができない。
また、背番号は、くじ引き。4.5.6年生で番号が被らないようにするので、160番まで番号があった笑

・試合は選抜
人数が多かったから、試合は選ばれた人しか行けなかった。
そもそも、リフティングの基準を達した人でないと、4年生以降は、試合が出来ない。しかし、リフティングが出来ても、試合のメンバーに選ばれなかったら、選抜の試合に行くことはできなかった。また、選抜の試合に選ばれるには、週の7日までにサッカーノートを必ず提出しなければならなかった。
ただ、リフティングが出来ていたら全員必ず行くことができるリーグ戦はあり、2チームエントリーしていた為、みんなその試合には出れた。

・練習もグループ分け
練習は低学年の日と高学年の日に分かれていて、低学年は学年で分かれて上手い数名が上に行くことが多かったが、高学年は、3学年まとめて、4か5チームに分かれていた。
練習を教えてくれるコーチや、代表、監督の評価を基準に決められていて、入れ替わりは全然あったし、目に留まったら上げてくれたりしていた。
また、一時期は、リフティングで何m進めるか(MAX100)、40m走のタイム、8の字ドリブルのタイム、1周900mの池2周のタイム、あとまだあったような、なかったような😅の合計で、チームを決められていた時期もあった。

・挨拶、ルール、マナー、時間の徹底
チームにはモットーがあり、このモットーを守れない人は、やめてください。来なくていいです。と言われていて、実際、みんな率先して動いていたし、挨拶大きい声で、時間は15分前には門の前に来ていた。(暗黙のルールがあって、30分前に来て、みんなカバンを置いて学校横の池を走っていた)

・愛のある厳しい指導
体罰、とか最近はすぐ言われているが、私の少年団では、「アホ、ボケ、お前」は普通に監督に言われていたし(普通に怖かったけど、愛があることを親は知っていたし子どもも別にそんなことで落ち込まなかった)、たたくことや蹴ることは監督も笑いながら、自分の手を乗せてその手を叩いたりと冗談の時にはあった。笑、でも帽子を投げられたことはあったし、(女の私でも投げられる笑)試合に負けたり、大差で勝ったのに1失点したら、例の池を試合から帰ってきて10周走ることや、最初のランニングで声が小さくて何回もやり直してグラウンドを12周走ったことや、練習終わりに50本ダッシュ、試合合間に50本ダッシュ、Jグリーンの坂ダッシュ、等もザラにあった。

・挨拶
モットーの中でも、1番挨拶にはこだわりがあって、学校の門を入る時は、ネックウォーマー、手袋をとり、試合の時は半袖半ズボンの移動着で、大きい声で名前と時間にあった挨拶(おはようございます、こんにちは)をグランドに向かって1人ずつする。
声が小さかったら、遠くから「聴こえへん、やり直し」と叫ばれ、何度でもやり直す。
また、練習の始まりと終わりには、必ずグラウンドとコーチたちに挨拶を全員で並んで行う。その際に声をかけるのは、4-6年生の場合は6年生のキャプテン、いない場合や低学年は、その日代表に指名された人が行っていて、必ずみんなの身だしなみを確認して、大きな声で「気をつけ、礼」と言って、みんなで声を合わせて挨拶していた。

・グランド整備は走ってやる
学校のグラウンドなのでもちろん土。使った後は、とんぼ(ブラシ)をするのだが、練習が終わったら、終わった人から走ってブラシを取りに行き、走ってかける。人数に限りがあるので、先に支度を終わらせてどんどん代わっていき、早く片付けをすることが当たり前だった。

・予定は急な連絡以外口頭
試合のメンバーに入ったり、練習の予定は基本的に平日の練習後に、代表から口で伝えられる。
みんなのカバンの中には必ずメモとペンがあり、自分でメモをして親に伝えて、持ち物を確認していた。
また、集金なども同様で、ユニフォームなどの大きいお金は封筒を渡されていたが、試合の参加費等は、伝えられた次の練習に必ず持っていかなければならなくて、忘れたら、忘れ物とみなされ、グラウンドを走らなければならなかった。

・土日の練習は歩いてくる
平日は学校があるため、校区内とは言え家の近さはそれぞれで、間に合わない場合も普通にあるので、自転車で来て良かったが、土日は、校区外に住む違う学校からくる数名以外は、安全と地域に迷惑をかけないため、必ず歩いて行っていた。

・リフティングの回数でメダルをもらえる
低学年までは学年×100回で、名前入りのメダル、高学年は1000回以上で名前入りの盾、2000回でノート、それ以上は代表独自のプレゼント(私は5000回を越してACみらんの帽子を貰った笑)が貰える。
自己報告は一切ダメで、代表の前でやって、代表が数を数える。
もちろん緊張するが、できた時はハグをして一緒に喜んでくれて、周りから見ていても感動するしとても良い瞬間。
(1000回を超えるチャレンジの時は入場者数を数えるカチカチで、数えられる笑)

・その他
他にも、スタメンを決めるのに例の池のタイムを試合に行く前に測り、タイム順でと言われたこともあったし、リフティングの回数(インサイドとアウトサイド)で試合に連れていくメンバーを決めると言われて、代表の前で1人ずつ1回チャンスでやったこともあった。

試合後は選手だけでミーティングするのが当たり前で、まとめて監督に言いにいく。
何かあったら、キャプテンが常に怒られる。
キャプテン、副キャプテンの他に、リーダーと言うのがあり、1-3年生のリーダーにあたっていた人は、土日の低学年の練習にお手伝いしに行っていた。(キャプテン、副キャプテンはもちろん)

遠征はなくて、5.6年生になるとクリスマスに合宿に行って、サッカー以外のことをしていた。

ボールの上には座らない。

バレンタインは、


思いつくだけで、これだけ少し変わっている部分があった。
私はこれらに変わっていると気づくのは、中学校でクラブチームに行き始めた時だったが、これが嫌で辞めたいとか、違うチームに行けば良かったと思ったことは一度もない。
親も含めて、とても良い経験ができたし、小学生から、競争の厳しさや楽しさ、勝負の厳しさや楽しさ、継続することの大切さを教えてもらった。
サッカーの技術的なうまさはもっと違うチームにいけば、つけられたかもしれないけれど、それでも私はナショナルトレセンに一応選ばれたし、他にも県のトレセンや、高校で選手権に出る子などもいた。
コーチは外部コーチが平日の練習を教えてくれていたので、ちゃんと練習して、自分でも練習とか遊びでサッカーをしていたら、それなりに上手くなれだと思う。(私は少し遊びに走った時期があった笑)
また、やる気根気負けん気というスローガンもあり、試合のメンバーや練習のカテゴリーは、ただ上手いだけでなく、気持ちがあれば、まじめに、真剣に、コツコツやっていたら必ず選んでくれたり、上げてくれた。
文句はみんな本当にひとつも無かったし、今までサッカーをしてきた中で1番基準がわかりやすくて、納得できた。


これぐらいにしておきますではまた!笑


#サッカー #少年団#小学生サッカー#異質

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