元暴走族の安全運転
兄の言葉の優しさにハッとした。
私は、人に何かを伝えるとき、自分の中で、あーでもないこーでもないと自分内会議をした結果、外に出すのは、結論やストレートに伝えたい内容だけのことが多い。聞かれない限りは必要以上に説明を加えない。
それは大体に置いて反論の余地が無いらしく、相手は頷くしかない。
対して兄は、相手の気持ちを想像して、そこに寄り添う枕言葉を入れてから、伝えたいことを述べる。
伝える内容は同じでも、受け取る側の印象は違うよなー。
私は、他人の気持ちを想像して、気にして、気にするあまりに身動きとれなくなり、、、ということが小さい頃はけっこうあって。
それを、疲れるのでスパッとやめ。。。他人の気持ちを想像したところで想像に過ぎないし、相手が私に向かって直接表現したもの以外は気にしない、知らぬ存ぜぬ。
自分がどう思われているのか、というのも同様に、直接言われるもの以外は知らぬ存ぜぬ。
この事は、めぐりめぐって自分自身の表現に関係したようで、聞かれないことについては必要以上に話さない。興味があるなら私に直接聞けばいい。てところに帰結してしまった。
こんなんで、いくつかの人間関係ダメにしてきたはずで、やっぱりもーちょっと敏感になろーと思ったりもしたけど、思っただけでしたね。
私、自分の持てる能力すべて仕事に全振りしてるのか、ほんと、プライベートはポンコツ。
介護人としては、言語でも非言語でも利用者の生活上のニーズをひろい、どうしたら実現するか、ときに想像力を駆使して、この言い回しではダメだから〜とか、コレがダメならアレだ〜と、がんばるのだけどね。
兄の運転はスマートでやさしかったという話。
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