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でくのぼーとアンドロイドは欲求を超えた存在という作り話です

SF小説の、アンドロイドの話で。
人間の役に立つようプログラムされていて「ワタシはアナタのお役に立てていますか?」と何度も何度もきいてくる。そんな話があった。
小説はいろいろ読んだから、記憶がごっちゃになってるかもしれないけれども。そんな話。

小説の世界観でみたらば、素直に、人との境目ってなんだろね、と思った記憶がある。
むしろ自分の方がアンドロイドより性質が悪く、仕事してると特に、承認欲求の沼にハマりがち。
もとの動機は、違ったはずなのにね。
いわゆる手段が目的になっちゃうってやつで、認められるために悪目立ちする、みたいな。

雨ニモマケズの解釈はいろいろあるようだけれど、わたしが個人的に感じたことは。デクノボーになりたいっていう境地は、とてもとてもとても困難で高尚な感覚だってこと。
簡素な暮らしのなか、東西南北、あらゆる人助けをしてなお、ほめられもせず、くにもされない、でくのぼー。そういうものになりたい、とは。それは承認欲求を超越した境地で。そして超えた先がデクノボーて、、、自己実現も超えちゃってる?それはもう、私には想像が及ばない境地なのです。

そういうものにわたしはなりたい?
。。。。。。んーーーほめられたい。

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