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からまってからまわる

兄妹。
父子。
周辺の親族。
父母の友人。
たくさん話した気もするし、まったく無口だった気もする。

リスクのある手術を、強く希望した母。
その決断に至った途中にある思いや考えは、想像するしかないのだけれど。
それを母自身から聞けたなら、父は楽だったかもしれない。

私が育った過程で、親の思い、子の思い、どう感じているかを言語表現するということは。あまりなかったように思う。
「雰囲気で察する」が、ベースであって。
相手がどう思っているのか、どう感じているかは、いつも勘。間違っていれば不機嫌になり、当たっていればこっそり自己満足する。
こんなテレパシーもどきは、とにかく思い違いが多発する。

今になって。感傷的になり。おまえが生まれたときは、あーだった、こーだったと。そんなのは、ずるいではないか。勝手にテレパシーごっこ止めちゃって。痛いよ苦しいよ、と触れて回っている。
実際、痛くて苦しいでしょう。でも、見返りを求めているのも知っている。視点が引いちゃうから、私は感傷にひたれない。
浸れないけど、私もそれなりに痛い。

。。。父の学びは相当な痛みをともなってこんな感じで進行してるんだなぁ。

カミサマ。私は、私は。あんまり痛いのはイヤです。。。

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