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毛利さんへ。

毛利さんがバイトを辞めた。

毛利さんとは、僕が現在も働いている映画館で、バイトを始めた当初からお世話になっている、年上のフリーターの方だ。

僕はこのバイト先で3年近く働いている。

映画館のバイトを始めたのは大学1年の秋。
大学進学で東京に来て半年ほど経った頃だった。

その頃の僕は日雇いバイトしかしたことが無く、ひとつの職場に腰を据えて働いたことが無かった。

思えばあの頃は、1浪した挙げ句に大学受験に失敗したことで、社会と他者に対して引きこもりをしている時期だった。

暗い目をしていた。

だから日雇いバイトしかしなかったのだろう。

社会と深く関わる必要が無いから。
他者と深く関わる必要が無いから。

そんな風だったから、東京に来てからしばらくひとりだった。
大学では友達を作らなかった。
その名残で今も大学に友達がいない。

でも、そのことを後悔はしていない。ひとりの時間が必要だった。

しかし一方で、人と交わりたい気持ちもあった。

どこかに、誰かに、繋がってくれ。繋がってくれ。と、じっと願っていた気がする。

だから、繋がりを求めて自分は、映画館で働くことにしたのであった。




バイトを始めてすぐの時、毛利さんに話しかけてもらった記憶がある。

何を話したかはまったく覚えていない。

ただ、気さくに声をかけてもらったことは覚えている。

また、慣れない環境に戸惑っている僕を安心させるためにジョークを飛ばしてくれたり、業務内容を丁寧に教えてくれたりしたことは覚えている。

優しく、かつユーモアのある人という印象を受けた。
話しやすい印象を受けた。

不思議と心を開くことができた。

だから直ぐに仲良くなれた記憶がある。

しかし、その頃の自分の印象を毛利さんに聞くと決まって、
「人見知り!もうめちゃくちゃ人見知り!話しにくかったわ~」
と言われる。

バイト先で心を開く気が無い奴と思われていたらしい。

あれ?僕が毛利さんに抱いていた印象とまったく違うな?
僕は話しやすかったんだけどな。
親しげに会話出来てると思ってたんだけどな。
コミュニケーションむずっ。

そう感じた。

でも、社会と他者に対して警戒心と鬱屈をため込んだ当時の自分と関わってくれて、感謝しかないなぁとも感じた。




それから3年が経った。

上記に書いた通り、毛利さんがバイトを辞める。

縁を深めた人と会えなくなるのは単純に寂しい。

仕方ないと分かりつつも残念。

というか、僕だけでなく、バイト先の人の多くが毛利さんがいなくなることを残念がっていた。

それはきっと、毛利さんが積極的に他者とコミュニケーションを取る人だからだと推測する。



毛利さんは、初対面の人なら誰に対しても自分から挨拶をする人だった。

「あ、どうも。もうりですゥ。はじめましてェ。よろしくおねがいしますゥ~」
と、ヘンな言い方で挨拶しているのをよく耳にした。

初対面の人を前にすると、おどけたくなる病気なのだろう(失礼か?)。

また、少し人見知りであったり、静かそうな方にも、優しく声をかけニコニコと喋っていた。

人間が好きな人なのだろう。
人間に興味がある人なのだろう。

だからふざけたことを言って空気を和ませ、人と仲良くなりたいのだろう。

さながら親戚の子どもの間で人気の叔父さん。

大人の輪の中にはあまりいないが、やたら子どもに話しかけてヘラヘラふざけている叔父さん。その感じに毛利さんは近い(失礼か?)。

でも、他者に対する繊細な配慮もあり、「人が言われて傷つくこと」や、「明らかに言ってはいけないこと」を口にしたりはしない。

親戚の子どもに人気の叔父さんは、たいてい大人からはやっかい者扱いにされ、嫌われていたりするのが相場。

だが、毛利さんはそうではなかった。
端的に言えば、デリカシーはある。

だからやっかい者にはされていなかった。

つまり、他者に対する丁寧な振る舞いと、軽口を飛ばしながらすぐ雑談をしようとしてくる明るさ。この2つの魅力が、毛利さんの愛される人柄を生みだしているように見えた。

毛利さんは僕にとってそういう大人だった。




そんな毛利さんの周りには当然人がわんさか。
繋がりが出来る。




この前バイト先で毛利さんの送別会があったのだが、数十人近くの人が集まった。

たかだかいちバイトの送別会で、数十人集まるのは凄いことだと感じた。

僕は大人数の集まりがそんなに好きではない。

だから集まりに誘われても断りがちなのだが、
「毛利さんの送別会なら絶対行きますよ!」
と思って参加した。




送別会の場で僕は、結局みんな、毛利さんのことが好きなのだろうと感じた。

業務中、いつも毛利さんは色んな人に声をかけていた。

業務中、ピーク時などのしんどいタイミングでも誰かに声をかけていた。

というか、バイト中なんてそもそもが四六時中しんどいもの。

立ち仕事なので足は痛いし、給料は安いし、面倒だし、単調な仕事に心が摩耗する。 
忙しい日なんてホント最悪だ。

だから、僕はバイトが楽しいと感じたことは1度もない。

でも、そういうしんどい気分を和らげてくれるのが、その日シフトが被った、仲の良い人達の存在である。

結局、誰と働くかが重要だ。
助け合えるかが重要だ。
交流できるかが重要だ。

仲の良い人と話が出来ることが、バイト中のささやかな痛み止めになる。

コミュニケーションが、他者との連帯感が、社会からドロップアウトしないためのセーフティネットになる。

正直、映画館のバイトを始めて3ヶ月くらいは、すぐに辞めようと考えていた。

でも、なんだかんだで3年も続いてしまった。
それが良いことか悪いことかは分からないが。

でもそれはバイト先が自分にとって、東京での1番大きい社会との接点になったからだ。
結果的に。

他者や社会との接点が無かった自分が、たまたまバイト先で仲良くなれる人を数人見つけて、バイト先にやや馴染んで、今日まで来た。

そして仲良くなれた最初の数人のうちの、大切なひとりが毛利さんだった。

毛利さんは、バイトのしんどさを、皆のしんどさを、その人柄で、雑談パワーで、緩和し続けてきた。

まぁ雑談っていうか、悪く言えば私語が多かったのだけど(やっぱり失礼か?)。

しかしその私語が、朗らかさが、人を呼んだ。

「毛利さんがいるから、今日のバイト少しだけ気が楽だわ」
と思えた人が、送別会には集まっていた。

その小さな恩が、人を集めた。

その集まった人の数が、
そのまま小さな恩の総量を表していた。




正直、バイト先の人間関係なんて別にどうでも良い。

そこで人望あったって、どうしようもない。

時給が上がる訳でも、未来に繋がる訳でもない。

バイト先の人間関係なんてほとんどがその場限りのもの。

所詮バイト先なんて人生の腰掛けに過ぎない。
いつ辞めたっていい。

でも僕は、バイト先という場で愛されていたことがそのまま、毛利さんの人間的魅力の証明になると感じて、これを書くことにしました。

今までお世話になりました。
3年間ありがとうございました。
これから忙しくなるようですが、心身ともに健康でいてほしいです。

毛利さんに倣って、僕も初対面の人に自分から挨拶できる人間になります。

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