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上空97M

 実家に帰省した。
 
 4月7日から10日まで。


 帰省した理由は、その頃リリー・フランキーさんの著書『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』を読んでいて、その影響で
「少しは母に親孝行しようかなあ」
と考えたからである。

 そして、自分に出来る親孝行って何だ?と問われれば、せいぜい顔を見せることくらいだろうという結論に至った。

 とはいえ、急遽帰省して顔を見せたところで、僕が母親になにかしてあげられる訳ではない。だから帰省がイコール親孝行になるかは正直微妙。
 しかし僕は、
「まぁ一応、一緒にメシでも食えば親孝行になるか。でも、メシは母親に作らせるんだけど」
とムリヤリ考えて帰省することにした。

 思い立ったが吉日で実家に帰ることにしたので、家族に帰省する旨の連絡を怠るまま帰路についた。帰省が決まったのは帰省の前日だった。


 予告無しで実家に到着。
 何しに帰ってきやがったンダ!?と驚く母。
 しかし母はその後笑いながら言った。
「ゴメン私、7日から10日まで実家にいないよ~」



 
 最悪だ。




 わざわざ親孝行のために意気揚々と帰ってきたのに、肝心の母親が実家に不在。そんな偶然あんのか?いや帰省することを連絡してなかった自分の落ち度ではあるのだが、俺が帰省するタイミングと、母親が実家にいないタイミングが丸かぶりするってなんだよ。間が悪すぎるだろ。

 しかし母親は、そんな息子の思いを意にも介さずゲラゲラ笑っていたので僕は、


 なに笑ってんだテメコノヤローと思った。


 せめて「時々オカン」だろ。
 なんだよ「不在オカン」って。
 メシすら一緒に食べられねえのかい。


 僕は帰省した意味を帰省初日に打ち砕かれた。


 完全に自分が悪いのだけど。





 とはいえ、母との交流の薄さを除けば、充実の帰省ではあった。



 まず父親と2人で昼間にうどん屋に行けた。
 僕は味噌煮込みうどん。父はカレーうどん。
 僕らは紙エプロンを貰いそれを着用してうどんを食べた。自分が食べ終わった時に気づいたのだが、父はカレーの汁を紙エプロンに一滴も飛ばすことなく、真っ白な状態で完食していた。
 非常に綺麗な食べ方をしていた。

 一方で僕の紙エプロンには、
「散弾銃で胴体撃たれたんか?」
という量の茶色いシミがあちらこちらに飛び散っていた。そのため僕は、本当にこの父親からDNAを分け与えてもらえたのか、疑心暗鬼になった。
 何故親子なのに食べ方に差が出るんだろう?
 しかも息子の方が下品で汚い。
 でもそのことを、父は一言も指摘してこない。
 父は無口だ。



 また、小学校からの連れとも遊んだ。
 夜中に軽自動車でコンビニを何店舗も回って、各店舗ごとに1品ずつ買い食いするというルールを決めてドライブしたり。閉店ギリギリまでゲーセンでメダルゲームをしたり。24時間営業の無人古着屋に行ったが金が無くて何も買わなかったり。そのくせ焼肉きんぐでお高めのコース選んでおきながら、必要以上にサンチュばっか頼んでそれで腹パンパンになってみたり。そうやって遊んだ。
 遊び方がマイルドヤンキーすぎて笑ったな。
 また遊ぼうぜ。いいだろ?


 しかし、今回の帰省のハイライトがなにかと聞かれれば、8日に妹とふたりで行ったナガシマスパーランド。


 ナガシマスパーランドに行くことが決まったのも急だった。


 帰省する知らせを聞いた妹が前日にLINEで


妹から送られてきたLINE

 

 ナガシマスパーランドへのお誘いをくれたから行くことにした。


 子どもの頃は喧嘩ばかりで全然仲良くなかったのに、2人きりで遊園地に行く誘いをしてきた妹。
 今年で成人を迎えるそうだ。
 時の流れの速さに恐れ入る。
 


 聞くところによると妹は、なぜかジェットコースターにハマっていて、ここ半年で3回ほど、絶叫マシンの聖地とも言えるナガシマスパーランドに訪れているらしい。

 そんなジェットコースター狂と化した妹に連れられて、僕はナガシマスパーランドに向かった。


 当日は曇天。濁った空気。小雨がぽつぽつ降っていた。というより、降ったり止んだり微妙な天候。でも微妙な天候にはメリットがあった。


 それはアトラクションの待ち時間が短いこと。


 もちろん本格的に雨が降るとアトラクションは乗車不可能になるのだが、小雨程度ならアトラクションに乗車可能。そして小雨の日にナガシマスパーランドに行こうと考える者は少ない。だから来場者が減り、その結果時間をかけずにアトラクションに乗ることが出来る。


 しかしデメリットもあった。

 それはアトラクションに乗る時に、全身がびちょびちょに濡れること、寒いこと、顔に当たる雨粒が信じられないくらい痛いことだった。
 特に3つ目がキツかった。
 ぶすぶすぶすぶす銀色の針で刺されるような痛みを、風の強い高所に行くほど感じるからだ。


 痛すぎて、絶叫マシンへの恐怖の原因が「スリル」というより「雨粒の痛み」に変わっていた。


 しかし、にもかかわらず、僕らはその日くったくたになるまで絶叫マシンに乗ってはしゃいだ。



 僕と妹が乗ったアトラクション一覧。


 メリーゴーランド 1回
 ジャンボバイキング 1回
 スターフライヤー 2回
 アクロバット 2回
 嵐 1回
 白鯨 2回
 スペースショット 1回
 フライングカーペット 1回
 ダブルワイルドマウス 1回
 大観覧車オーロラ 1回
 牧場deバンバン 1回
 スチールドラゴン2000 5回



 1日で合計19回も乗ることが出来た。
 乗りすぎぃ。


 中盤からは、普通のジェットコースターのスリルに飽きてしまって、スチールドラゴン2000という最高到達点が上空97Mの、速度やコースの長さも桁外れの、日本一のジェットコースターにばっかり乗っていた。

 

 そのおかげで「雨粒の痛み」を強烈に感じた。でも、乗車を繰り返しハイになっていたのか、痛みすら快楽に感じるという、なんだかマゾヒストの境地みたいなところまで辿り着いてしまった。
 そして、「雨粒の痛み」と言う名の愉悦は、上空97Mで臨界点に達した。
 僕は上空97Mでマゾヒストに変身。
 力んで身体を固くし、奥歯を噛み締めたマゾヒストは、風を切って勢い良く落下していく。


 
 その落下の瞬間。

 薄っぺらな曇に包まれた灰色の世界に一瞬光が差し込んだような気がして眩む瞬間。


 俺はマゾヒストから鳥になる。



 これが突き抜けるほどに気持ちいい。



 急勾配を急スピードで下りながら滑走するコースターと、内臓の浮いた身体が、落下による風圧を受けた瞬間に一体化する。濁った空気の裂け目を見つけ出し、恐怖と痛みから解放された肉体をコースターの激しい動きに同期させていく。
 すると、一瞬のうちに鳥になる。
 翼が生える。
 一度鳥になってしまえば、あとは曇天の中を、小雨の中を、滑空していくだけ。ガタガタと音を立てる、激しいコースターの動きに肉体を委ねながらも、自分の意思でコースターが動いているような感覚が生まれる。強烈な風を感じながら銀色の針を跳ね返す。鋭い眼球がコースターの行き先を捉える。鳥としてこの一瞬だけは存在しうる。
 そういう想いになって思わず叫ぶ。
 もっと速く飛べ!もっと速く走れ!


 乗車後。
 僕は妹に大声で言った。
「俺たち鳥みたいだったな!」
 妹は大声で返した。
「うん鳥みたいだったぁ!」

 客観的に見たら、自分たちのことを鳥であると定義付け、騒ぎ立てる阿呆兄妹ではある。しかし鳥というメタファーで感覚を共有出来るのは、やっぱり長年の関係によって成せる技なのでは?となんか思ってしまった。まぁ、長年の関係を築いていても、うどんの食べ方が異なる人もいるが。
 とにもかくにも、妹とは絆が深い。感慨深い。
 

 子どもの頃は喧嘩ばかりしてたのに。
 すっかり仲良し兄妹になっちまった。
 妹は俺のことを友達のように扱ってくれる。
 でも別に日常的に会いたいとは全く思わない。
 けれど感覚は共有可能。それで良い。最高だ。


 そう感じてDNAが楽しく踊っていた。
 まぁ、「マゾヒストから鳥になる」の「マゾヒストから」の部分は共有できなかった(ていうか言い出せなかった)けど、それはいいや。
 変なこと言って今更嫌われたくもねぇし。

 



 上空97Mで兄妹は鳥に変身した。




 そんな話を後日母親にした。



 母親は笑いながら言っていた。
「ナニソレ?意味わかんないんだけど?」


 なに笑ってんだテメコノヤローと再度思った。



 ていうか今回の帰省はわざわざアナタに会いに来たんだよ!それなのになんでいねえんだよ!
 俺が実家にいなくても元気でやれよ!



 母という親鳥とも上空97Mを駆けたかった。


 それが親孝行になるのか知らんけど。

 


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