統辞構造論と統治行為論
これは統治行為論アドベントカレンダー2024、15日目の記事です
はじめに
皆さんはチョムスキーの名著、「統辞構造論」をご存じ行為論だろうか。
これはいわば「現代的な理論言語学」の幕開けを告げるような金字塔であるらしいが、私の注目する点はそこではない。「統辞構造論」、どこからどう見ても「統治行為論」のオマージュである。本稿では、いうなれば統辞構造論からの逆輸入により、「現代的な理論とうちこ学」の確立を目指す。
統語論の目標
チョムスキーによれば、統語論の目標は「個別の言語において文が構築される諸原理とそのプロセス研究」にある。特に、「個別言語に言及することなく、個別言語の文法を記述することができる装置」の構築を目指すものである。この研究のためには、特に「個別言語において、『文法的である』ような文はいかなるものであるか」という文法性判断と通じて、その個別言語によらない普遍文法の輪郭を描き出さんとする営みであると言えよう。
統辞行為論の目標
さて、上の統辞構造論に倣って、「統辞行為論」の目標を設定しよう。まず、統治行為論は国家ごとに(そして国際法にも)存在していたことを思い出そう。そうなると、我々は「個別の憲法において統治行為がとうちこされる諸原理とそのプロセス研究」を目標とし、とうちこ論を展開していくべきであると考えられる。特に「個別憲法に言及することなく、個別憲法の統治行為を記述することができる装置」の構築を目指そう。この研究のためには「個別憲法において『憲法的である』ような統治行為はいかなるものであるか」という憲法性判断を通じて、個別憲法によらない普遍統治行為論の輪郭を描き出すことができるのではないか。
具体的な議論
修論でそんなことをしている場合ではありませんでした。
いかがでしたか?
それでは皆さんごきげんよう。