留学中の体調不良まとめてみた
昨日留学のことを少しnoteにまとめて、
体を壊したことを思い出した。
ちなみに今ものどが焼けるように痛み、
声ががらがらなのだ。
ちくしょう。
これでも私は健康優良児だったのだ、日本では。
風邪なんかここ数年かかってない。
タイに来てからだ。
何度も病院に行くようになったのは。
そんなことをふらふらと思ったので、
私の体調不良歴 inタイを
まとめてみようかと思う。
①10月頭、38度の熱を出す
10月頭のこと、38度超えの熱を出した。
前日の夕方くらいから、
「ん?なんかおかしい?」
と思い始め、
20時くらいから
「あー、これは熱でるパターンだ」
と気づくほどの”ちゃんとした風邪”。
(いや、今気づいてるんだから早めに寝たら治るかも…!!)
希望的観測を持って、その日は21時に就寝。
だがしかし、いや、やはりというべきか
次の日はしっかり熱を出した。
起きてすぐ、あ、これはやばい。って思った。
でも体温計もなければ、食料もなない。
私は大学の寮に住んでいるのだが、
部屋にキッチンはない。
小さな冷蔵庫はあるものの特に何も置いていなかった。
これはやばい、やばい、と思いながら
担当の先生に連絡する。
「私、体調悪いんですけど、どうしたらいいですか」
何かあったらすぐに連絡するよう言われていたのだ。
返事はすぐに来た。
「必要なものはコンビニで買いな!マスクはつけてね!」
……まじか。
こんなふらふらな状態で、歩いて10分はかかるコンビニに行かねばならないのか。
一瞬行くことを考えて、ムリだと判断。
ウーバーイーツのようなアプリ「grab」を使って、
体温計、冷えピタ、ヨーグルト、ゼリーなどを
動かぬ頭でポチる。
タイ語表記をいちいちグーグル翻訳するのがまじで大変だった。。
しばらくしてウーバーが来た。
私は2階に住んでいるので
「4階じゃなくてよかった~」
って思ったのを鮮明に覚えている。
そんなことを考えながら必死で歩いて受け取った。
届いた体温計で熱を測ったら38度超えだったというわけだ。
大人しく寝ていよう。
寝ることしかできないし。
そう思ってとりあえず寝ていた。
ありがたいことに1日寝ていたらすっかり元気になったのだ。
「お!1日寝たら治ったやんけ!」
すごく嬉しかった。
一応その日は大事をとって部屋で大人しく過ごしたが、
その次の日も熱はなく元気。
この体調不良の話はこれでおしまい。
思えば1番楽だったかもしれない。
寝ていたら、治ったのだから。
それにしても冷えピタって、タイでも売ってるんだなあ。。
助かりました。
②11月半ば、ロタウイルスにやられ入院
これが1番大変だった。。
11月も半ばにさしかかる頃、
忘れもしない月曜日。
私は午前中の授業にフツーに行った。
そして、フツーに授業を受けた。
授業が終わって、タイの子に
「一緒に昼ご飯食べる?」って聞かれた。
あー。。
ちょっと迷ったけど断った。
昨夜寝るのがちょっと遅かったので、昼寝をしたかったのだ。
そうやってフツーに寮に戻った。
寮に帰る途中、なんか急に気持ち悪さを覚えた。
なんか変だ。なんかやばい。
そう思いながら部屋につく。
しばらくして吐き気を覚えた。
そして嘔吐した。
嘔吐するのは久しぶりだったが、
それが終わった後、大人しくしていればたいていよくなることを知っていたので、
(なんか悪いものでも食べちゃったのかなあ。でも吐いたからまあ大丈夫だろう)
と思っていた。
しかし、である。
その後夜10時まで吐き気が収まらないのである。
下痢もあった。
計10回は吐いただろうか。
これはやばい。寝れない。
そう思って、先生に連絡した。
今度は別の先生にした。タイの人。
夜遅くに申し訳なかったが、どうしようもなく、
本当はもっと早い時間に連絡するべきだったのだろうが、
夜10時になって吐き気は治まらないものの、ようやく人と連絡できるくらいになったので、助けを求めたというわけだ。
その先生は丁寧に、対応してくれた。
寮の人に連絡してくれ、
寮の担当の人が私を病院まで連れて行ってくれた。
タイで病院に行くのは初めて。
でも、ドキドキするとか、不安とか、
そういうのを考える余裕もなく、
ただただふらふらの状態だった。
なんだかよく分からないまま、病院では点滴をした。
水分不足だったからだ。
1時間か2時間か経ったくらいだろうか。
薬を持たされ、帰らされた。
夜1時くらいだろうか。
寮に帰ってきた。
寮の人に感謝を伝えた。
本当にありがとう。
「薬を飲んで寝たら、きっと治るよ。」
そう温かい言葉をもらって、部屋に戻った。
私もその言葉を信じていた。
次の日、火曜日のことだ。いまだ体調が悪かった。
吐き気はなんとか治まったものの、下痢が続いた。
でも、その日はどうしても授業に行かなければならなかった。
ペアワークの課題が先週出されていて
その課題を私が持っていたのでそれを提出しなければならなかったのだ。
自分ひとりの課題だったら絶対行かなかっただろう。
でも、私が休んだら、相手の子の点数もなくなっちゃう!
その一心でなんとか学校へと向かった。
正直歩くのもやっとの状態だった。
なんとか課題を提出して、
しばらくはがんばって座っていた。
でもやっぱり、ねじれるようなお腹の痛みに耐えられず、
1時間と少しが経ったくらいで私は退出した。
水曜日、その日も私はやらなければならないことがあった。
グループワークでみんなが集まらなければならなかったのだ。
だが、この日になっても体調は改善せず。
相変わらずのお腹の痛みと下痢。
しかもこの3日間ほとんど何も食べられていない状態。
それでもなんとか2時間程度のグループワークを終え、
早々に帰宅した。
木曜日、未だに下痢が続いていた。
本当に辛くて、夜は泣いていた。
ちゃんと薬を飲んでるのに、どうしてまだ私はこんなに苦しいんだろう。
日本に帰りたい。。
そう思った。
その日は午後から授業だったので、
午前中に保健室みたいなところに行った。
自分の飲んでいる薬を持っていって、
腹痛が治らないのだが、と相談した。
保健室の担当のおばちゃんみたいな人が
5つくらいもらっていた薬の中で
「あー、この薬とこの薬は飲まなくてもいいかもね」
的なことを言った。
その後、
「ホームシック?」
って聞かれた。
正直、なにがなんだかよく分からなかったのだが、
現状ホームシックであることには間違いないので、
しくしくと泣いた。
おばちゃんは優しく手を握ってくれた。
「午後の授業が始まるから、もう行きな」
と1時間ほどで保健室を追い出されてから
(このお腹の痛み、やっぱり授業でれそうにない)
と確信し、
おばちゃんの言うことは信じず、もう一度病院に行くことにした。
前回と同じタイの先生に
「病院にもう一回行きたい」
と言えば、
なぜか中国人の若い男性を付き添いにつけてくれて、
病院に行くことになった。
その中国人の男性も何が何だか分かっていない様子で、
しかも私もその人もタイ語は分からないものだから、
なんとも困ったものだった。
私は薬が効いていないようなので、
別の薬に代えてほしいというつもりだった。
そうしたら、病院の先生は
「ん、入院する?」
とか言い出した。
……は??
前回同様、水分不足のため点滴を打っていた私。
”you should stay here today"
とか言われて、
「え?ほんとに私ここに泊まるの?どゆこと?私そんなにひどいの??」
とにかく混乱した。
なんで泊まるのかも分からないのに、車椅子に乗せられて
個室につれてかれて、また泣いた。
まあ、先生曰く、4日間も腹痛が治らなくて、下痢とかもあるんなら、今日家に帰っても寝れないだろう。だから、まあ病院にいな。
とのことなのだが、入院初心者には、
「え?入院ってこんなものなの??」
と混乱するばかり。
まず、入院するなんて1ミリも考えていなかったので
何も持ってきていなかった。
連絡しようにもスマホの充電がなかった。
え?え?
混乱の中、いろいろ検査とかされてその日は終わった。
金曜日になって、
充電がまじでなくて親にも連絡できない状況だったので、
残り5%の充電を使って、
スウェーデンの友人に、充電器を持ってきてくれと頼んだ。
その子は寮には住んでいなかったので、私の部屋には入れない。
だから、服とか、その他のものを頼むことはできず、
とにかく連絡手段がほしかったので、充電器を頼んだ。
ちなみに、ずっと点滴はされっぱなしだった。
金曜日の昼頃、その子は来てくれた。
モバイルバッテリーと充電コードを持ってきてくれた。
本当に感謝したものだ。
友達に会えたということで安心感もあった。
ちなみにその日になっても食欲は戻らなかったし、
下痢は続いていた。
でも、ねじれるようなお腹の痛みは和らいでいた。
なんとか充電ができるようになって、
ようやく親と電話ができた。
幸いなことにめちゃくちゃいい個室があてがわれており、
ものすごく大きな1人部屋で、よい景色を眺めながら、
他の人を気にすることなく電話することができた。
親と電話して、初めて親の前で泣いた。
「日本に帰りたい」と初めて言った。
親は意外にもあっさり「入院しているならまあ安心」というような返事だった。
ちなみに、金曜日の夜も入院することになった。
理由は、尿が出ていないから、だそう。
水分不足がひどく、ずっと尿が出ていなかったのだ。
まあ、ということで、もう1日入院。
変わらず点滴も続いた。
結局寮に帰ってきたのは、土曜日の午後だった。
とにかく早くシャワーを浴びたかった。
1人部屋にはシャワーがあったのだが、
ずっと点滴をしていたためシャワーできなかったのだ。
部屋に帰ってきて、シャワーを浴びて、
ちょっとほっとして、
ああ、この部屋は、もう私にとって”帰る場所”になってるんだなあって思った。
土曜日もまだご飯は食べることができなかったが、
日曜日になると、ご飯ものを半分くらいは食べられるようになった。
また、下痢も治まり、なんとか生活できるようになった。
ちなみにこの腹痛の原因はロタウイルスだったらしい。
どこで拾ってきたのかさっぱり分からない。
誰も腹痛の原因を教えてくれなかったので、
病院を出るときにもらった大量の資料(英語でした!感謝!)を読んで、
自分がロタにかかっていたのだと知った。
最悪の1週間といっても過言ではないくらい大変だった。
③2月頭、シンガポールで食あたり
2月頭にシンガポールに行った。
研修みたいな感じで5日間。
すごーく楽しかったのだが、
3日目の夜に食べた揚げ中華まんか、
同じ部屋に泊まってた子の腹痛がうつったのか。
3日目の深夜嘔吐することとなった。
そして、4日目、なんとか活動に参加しようとするもムリ。
途中退散。
担当の人に買ってもらったうどんを食べるも、
3口でノックアウト。
ホテルで大人しく寝る羽目になった。
5日目。プーケットへと戻る日。
体調はまだ回復していなかったが、むりやり元気を出し
最後のセレモニーへと出席。
その後、どうしても行きたかったマリーナベイサンズのスカイデッキと空港内にあるJewelに1人で行った。
自分でもよくがんばったと思う。
その後2日間は、あまり食べられなかったが、
下痢や嘔吐はなかったため、フツーに過ごすことができた。
④4月頭、やっぱり食あたり
4月頭、食あたりをまたくらった。
今回は原因がさっぱり分からない。
さる月曜日、なんとなく朝起きられなかった。
9時から授業が始まるので、いつも8時くらいに起きていた。
だが、どうしても起きられなかった。
なんとか顔を洗うも、体が動かない。
(よし、8時45分までギリギリまで寝て、学校行くか決めよう。)
そう思ってもう一度寝た。
8時45分。
やっぱり体がおかしいので、休むことを決めた。
(んー、なんか変やけど、寝てたらまあ治るかな)
そんなことを思ってまた寝た。
10時頃。
突如やってきた吐き気。そしてまた嘔吐。
それが13時くらいまで続いた。
(あー、こりゃダメだ)
あっさりと病院に行くことを決めた。
検査もしてもらったが、今回はウイルス性のなんかではなかったらしい。
またも薬を5つくらいもらって帰った。
その後3日くらいはあまり食べられなかった。
しかし!そこでさらなる悲劇があったのだ。
腹痛が改善され始めた頃、なんと生理が始まってしまい、、
別の腹痛を抱えることとなった。
しかもまだ”food poisoning"の薬は継続的に飲んでいる。
これは、、生理の薬は飲めない…のか?
よく分からなかった。
とにかく生理1日目と2日目は大変な思いをしてなんとか過ごした。
⑤4月半ば、喉の痛み レベルMAX
そして、今大変な喉の痛みを抱えている。
理由は分からない。
本当に痛いのだ。
「あ、喉痛い~」っていう喉の痛みの5倍くらいの痛みを先日経験した。
今はだいぶマシになってきた。
のど飴を買うことができたので、それだけでも万歳三唱かな。
まー、、こんなこんなでいろんな体調不良を経験したのだ。そのほかにも謎にちょこちょこやってくる頭痛とかあって、
(私日本では頭痛持ちじゃなかったんだけどな??)
とか思う日々。
こうやって、まとめたことがいつか笑い話になるのかな。
もう笑い話かも笑。。
思い出になればいいな、と思って、
この駄文を閉じさせていただきます。